書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

金庸『連城訣』全2巻

 いや〜暗い小説だったな〜。モルセールかダングラールみたいな奴しか出てこない岩窟王、って感じだ。主人公が最後までモンテ・クリスト伯にならずにダンテスのままだから、余計ひどいことになってる。うむ、期待通りに面白い。

連城訣〈上〉菊花散る窓 (徳間文庫)

連城訣〈上〉菊花散る窓 (徳間文庫)

連城訣〈下〉雪華舞う谷 (徳間文庫)

連城訣〈下〉雪華舞う谷 (徳間文庫)

「わしはいつだって気侭に善人を殺すぞ。悪人しか殺せんのだったら、世の中悪人が不足してしまう」(上巻、325ページ)

 主人公の狄雲は、師の戚長発、師の娘で恋仲の戚芳とともに、師の兄弟子・万震山の誕生祝いに赴くが、その際に姦通未遂の冤罪を着せられ、酷い仕打ちにあった上、牢に繋がれる。戚芳も万震山の子・万圭の妻になってしまう。打ちのめされた狄雲は、やがて同房の丁典と親しくなるが――。

 金庸版「岩窟王」というのが売り文句のこの小説だが、実際『モンテ・クリスト伯』を踏まえて書いていることは明白だ。戚芳はメルセデスだし、丁典はファリア神父、万圭はフェルナンといったところか。ただ、金庸らしい味も随所に出ている。怪老人・血刀老祖はその好例で、敵役としての存在感は抜群である。
 血刀老祖はわかりやすい悪役だが、ほかにも善人を装った悪党あり、善人だったのが悪党に落ちていく奴ありで、全篇悪辣なキャラクターのドロドロしたやり取りで満ち溢れている(いつの間にか血刀老祖に好意的に感情移入してしまう。一応この爺、身内はそれなりに大切にしているぶん、偽善者どもよりましかもしれない)。こんな連中の中を渡っていかなければいけない狄雲は、モンテ・クリスト伯のように冷酷ではないから、脱獄のあとも散々な目に遭い続けることになる。そんなわけで、作品をおおう色調はひどく暗い。
 『碧血剣』が順風満帆すぎて楽しみきれなかった私には、この小説はかなり曲折あっておもしろいものに思えるが、通俗文学で暗い話なんぞ読みたくないという人には勧めにくい面はある。規模では射?三部作や『笑傲』『天竜』に及ばないが、全体的な完成度は高い秀作である。

 また、この作品はあとがきがすばらしい。作品の着想元になった実話(ひょっとすると、この話も創作かもしれないが)が書いてあるのだが、狄雲のモデルになった和生という人物と、祖父・査文清への熱い思いが伝わってきて、読者の心に響く名文になっている。
 ――そのあとについている解説はちょっとどうだろう。これはこれで楽しいものだけど、金庸のどシリアスな文章のあとに置くにはあんまり軽すぎやしないか。