書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』

巨船ベラス・レトラス

巨船ベラス・レトラス

 ではしかたがない、というように鮪はまた錣山を見つめた。「わしはずいぶん苦しんできた。その苦しんだことを書いた。それはやっぱり文学だと思うんだが」
「ああ。そう思っている人、多いんだ」うんざりした表情で笹川が言う。「自分がどれだけ苦しんだかを書いても文学にはならないんだよ。むしろ書くことに苦しまなきゃあ。今だってそうだけどあんたは自分の苦しんだことを自慢してるだけだろ」
 鮪は笹川を睨みつけた。「そんならあんたの書いてるあの訳のわからん小説は、あれは苦しんで書いてるのか。わしにはとてもそうは思えんのだが。あれは遊びだろうが」
「だからあ」笹川はまどろっこしげにかぶりを振りながら言った。「苦しんで書いてることがわかるような小説は駄目なんだよ」(138ページ)


 実業家の狭山銀次は、前衛作家錣山、笹川、前衛詩人七尾らを集めて文芸誌「ベラス・レトラス」を創刊するが、収録された作品はどれもこれもデタラメなものばかりになってしまう。一方、文壇の風潮を憎む同人誌作家・鮪勝矢は爆弾騒ぎを起こして死刑を宣告されるが、ために彼の小説は出版され、ベストセラーとなる。作品創作に苦しむ錣山たちは、時折前触れもなく不思議な船の中に迷い込む――。

 架空の船上で文学作家や編集者、作中作の登場人物や、しまいには筒井康隆本人までが登場して文学談義をするというメタフィクション・批評小説。前衛作家の苦闘と出版業界の事情、マスコミ、旧態依然とした作家志望者たちなど、日本文壇が抱える問題をユーモラスに刺激的に描いている。特に作家志望者たち――その代表が鮪勝矢――に対する、現代の文壇を批判するばかりで内外の古典に学ぶことをせず、ただ自分の感興を垂れ流しているだけ、という批判は辛辣だ。下には下がいると言わんばかりに登場する河田梵天に至ってはもう極端なカリカチュアとしか言いようがない(本当にこんなのが現代の同人誌を牛耳ってるなら、そりゃあ同人文芸も凋落するだろう)。ともあれ、誇張はあると思うが、文芸文学をめぐるこんにちの状況に興味があるなら面白く読めるだろう。
 また作家志望者や文学読者には耳に痛い字句も多い。おそらくは作家志望者や読者に警句を突きつけ啓蒙しようという意図もあるのだと思う。だから、これを読んで勉強した気にならないことだ。読後ただちに未知の刺激的な文学の渉猟に取り掛かってこそ、この本を読んだ価値があるというものだろう。