書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ヴィクトル・ペレーヴィン『チャパーエフと空虚』

 この小説の感想をまとめるのは難しかった。一言で言うと東洋趣味の現代版ブルガーコフ……とでも? ロシア幻想文学の正統な流れを汲みつつ、現代作家でなければ書けない内容になっているので、『巨匠とマルガリータ』なんかが好きな人は必読だろう。

チャパーエフと空虚

チャパーエフと空虚

「どこが戦士だ。これじゃみんなヴァルハラに来てしまう。何がセリョージャ・モンゴロイドだ……。武器を持ってりゃみんな戦士扱いだ」
「彼らはどうなったんです?」
「この後どうなるか……さあ知らんな。まあ、見ることはできるが」
 男爵はかすかに残った青い炎に向かって、もう一度息を吹いた。ふたたび炎が勢いを取りもどす。男爵は目を細めてじっと炎を見つめた。
「食肉コンビナートの牛になるみたいだ。最近はこの手の寛大な措置が多い。一面仏陀の無限の恩寵のおかげで。一面ロシアの慢性的な肉不足のおかげだな」(289ページ)

 主人公ピョートル・プストタ(”プストタ”は空虚の意)は精神を病み、自分は1918年の革命の時代に生きていると思い込んでいる。殺した友人になりすまして、赤軍指揮官チャパーエフの政治委員を務める革命時代と、三人の入院仲間とともに精神病院で治療を受ける現代の二つの時代を舞台にして、物語は複雑に展開する。

 『恐怖の兜』はどちらかと言うと肩の力を抜いて書かれた感じだったが、こちらはかなりの力作。革命時代と現代という、プストタが体験する二つの時代の物語と、プストタの入院仲間であるマリア、ヴォロジン、セルジュークの体験=妄想の物語とに密接な関わりを持たせ、その中に数々のパロディ(『罪と罰』やチャパーエフ・アネクドートをはじめ、道教・仏教の知識や、荘子胡蝶の夢、さらには源平合戦にいたるまで)を織り込み、全体として一つの奇怪な小説世界を創り上げていて、小説内に包含する内容・知識の多様さは圧巻。そういった知識の歪曲ぶりもコミカルで楽しく、歪んだ百科全書小説といったかんじの作品になっている。またそれだけ複雑な構成を有していながら、話の展開にスピード感が満ちているのも流石である。プストタとチャパーエフの禅問答めいたやりとりは難解だが、そもそも答えのない議論をしているので、雰囲気だけつかめれば小説を楽しむのに問題はないだろう。総じて、ペレーヴィンの最高傑作という評価も納得の出来である(ただ、ペレーヴィン入門には、『虫の生活』や『恐怖の兜』のほうが向いているかもしれない)。

 この本の訳者解説にはペレーヴィンの作品一覧と、(一言だけだが)未訳作品の内容紹介がつけられていて非常に便利。特に気になったのは『魔物の聖典』。狐っ娘と狼男の恋愛て――私のストライクゾーンど真ん中じゃないか(笑)。まあ、ペレーヴィンのことだから、その題材をそのまんま書いたりはしていないだろうけど……。