書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ペーター・ハントケ『私たちがたがいをなにも知らなかった時』

 ドイツ現代劇・六冊目。
 この人は日本でもわりと人気があるのか、小説作品の翻訳はけっこうたくさんあるようだ。『反復』は書店でもよく見かける。いつか読む……かも。
 当面はドイツ小説よりドイツ戯曲の渉猟を続けていこう。論創社の「ドイツ現代戯曲選」シリーズのうち、これまで読んだ六冊は、いずれも短いながら一癖ある内容で読み応えがあった(難解でもあったけど)。この分なら残りの二十四冊にも期待できそうだ。ちょっとずつでも買って、いつか全巻読破することを目指そう。
 ――こんなことなら、出る度に買って読めばよかったかな。

私たちがたがいをなにも知らなかった時 (ドイツ現代戯曲選30)

私たちがたがいをなにも知らなかった時 (ドイツ現代戯曲選30)

通りすぎる男。むき出しの両腕には、ひじまでぎっしり時計がはめられている。(36ページ)


 戯曲。舞台の広場をさまざまな人が行き交うが、互いに言葉のやり取りをすることもなく、独白もしない。ト書きだけしかない風変わりな脚本。

 最初のうちこそ、平凡な男や平凡な女が広場に出入りしたり、散歩したり駆け出したりする動きがあるだけだが、そのうちアブラハムとイサク親子、ペール・ギュント、白雪姫の心臓を持った狩人といった物語上の人物や、肘までぎっしり腕時計をはめた男などの奇怪な人物が登場してき、また杖をついた老人が突然ほかの老人とフェンシングを始めたり、奇術師が広場の光という光を吸い取ってしまうなどの奇怪な事件がおきて、舞台がどんどんシュールな様相を帯びていく。
 序盤やや読むのがかったるかったが、中盤からの盛り上がり方はすさまじく、クライマックスはとりわけ異様で鮮烈である。