書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

大江健三郎『ピンチランナー調書』

 かなりノリノリな本なのに読むのに時間がかかった。なんというか、さすが大江。

ピンチランナー調書 (新潮文庫)

ピンチランナー調書 (新潮文庫)

 ――それじゃ、無益な討論はこれくらいにして、実際的な活動をはじめましょう! 食べるものを食べて。「転換」シタコトガ、走ルコトノデキヌ、走ラネバナラヌコトヲマダ知ラヌ、ソンナ者ラノタメノピンチランナーニナルタメダトシタラ、スグニモ走リ始メネバナラヌカモシレナイゾとも、森、いったじゃないの? それなら走り始めようよ。私はあなたに来てもらって一緒に救援活動に加わりたいわ。昨日、今日の遅れを回復しなければ!
 おれはいまや着実に、いかなる唐突さの印象もなく、あのリー、リーの声の真の到来を自覚したよ。内側にはその叫喚の鳴りとよもしてるおれの肉体と精神も、すぐさま走り出すことを渇望しており、かつ恐怖しており、しかもなおその恐怖をこえて走り出したいという、もうひとつの渇望に動かされていたんだ。(188ページ)

 もと原子力技師の森・父と障害を持つその子の森は、ある夜、唐突に「転換」し、森・父は十八歳の少年に、森は二十八歳の青年に変身する。森・父は「転換」後の驚くべき冒険の数々を、小説家の光・父に手紙で伝える。

 スラップスティックで疾走感あふれる作品。序盤こそ光・父の冷静な語りで話が進むけれども、小説の大部分を占める、手紙による森・父の語りの調子はやたらとハイテンションで楽しい。『同時代ゲーム』では要所要所で「妹よ」という呼びかけを入れて文章の調子を整えていたが、この『ピンチランナー調書』でも、「ha、ha」という森・父の笑い声が文のノリをよくしている。
 「転換」をはじめ、小説内で起こる事件はどれもこれもハチャメチャ。私が作品で扱われている学生運動の時代を知らないこともあって、ちょっと筋についていけない個所もあった。『同時代ゲーム』に比べると、小説としての完成度はいくらか落ちると思う。ただ、森・父をはじめとする登場人物たちの、反骨と熱情のこもったセリフのはしばしは、時代の熱い空気を伝えてくれるし、読んでいて元気になる。俗な言い方をすると「燃える」。読みにくいがひたすら楽しい作品であるので、一読をおすすめする。