書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

コガネムシに関する一種の懺悔

 どこかから迷い込んできたコガネムシが玄関先を這っていたわけなのだが。
 それを見た伯母、つ、と立ち上がると、おもむろに家の奥へ。しばらくして、茶をすすりながらナイポールをだらだら読み進めていた私の耳に、ぱん、という打撃音が聞こえてくる。
 伯母が蝿叩きを持ち出してきてコガネムシを打ち据えているらしい。が、蝿より数倍硬いコガネムシは、一回や二回叩かれたくらいでは死なない。蝿叩きの音が響く。何度も何度も。
「死なない、まだ死なない」
 ――鬼か、あんた。
コガネムシなんかほうっておけばいいのに」
「だって怖いがな、びゅっと飛んでくるし。――死なない、まだ死なない。死なない。……あ、やっと死んだ」
 あの蝿叩きの音が耳から離れない。私は身体を張って伯母を止めるべきだったのだ。 ここにこうして文章を書いたのは、世界に向かって懺悔すれば、脆弱な生命を見殺しにした罪悪感から、多少は逃れられるかもと思ったからである。


 ちなみに、この文章から読者が学び取るべき教訓は、虫好きと虫嫌いは絶対にお互いを分かり合えない人種だ、ということである。