書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ジャン・アヌイ『ひばり』

 今年東京で公演があったらしく(演劇文庫で刊行されたのもそれゆえか)、ネット検索すると劇評記事がたくさん見つかる。演劇ファンというのはこれほど多かったのかと少々意外。戯曲は読むほうが専門、ほとんど観ないという私みたいなファンはかなり少数派なのかね。

ジャン・アヌイ (1) ひばり (ハヤカワ演劇文庫 (11))

ジャン・アヌイ (1) ひばり (ハヤカワ演劇文庫 (11))

いつも、いちばん美しいのは始まりのところ。(13ページ)

 史劇。捕えられてイギリス軍に引き渡されたジャンヌ・ダルクは、裁判のためにイギリスの貴族や司祭たちの前でそれまでの生涯を演じさせられる。

 素材が面白いから面白いのは当たり前。調理法も見事で珍しいものだったからますます楽しい。つい一息で読んでしまった。
 場所を裁判所から移動させぬままジャンヌの半生を演出する、という構成の面白さもさることながら、とりわけ魅力的なのはキャラクターの造型の意外さと会話のうまさである。ヒロインのジャンヌ・ダルクは度胸と弁才に長けた人物として描かれているが、「オルレアンの乙女」の神々しいイメージからすると、この造型は思いがけないものだった。シャルル太子や敵役のイギリス貴族ウォーリック、あるいは異端審問官といった面々も一癖ある人物として描かれている。特にシャルルは、柔弱ながら切れ者として造型されており、現代人に近い価値観を持っていて、共感できるところも多い。

「すくなくとも私には、幸福はこうあらねばならないという杓子定規な理念はありません。それが、ささいではあっても、どんなに貴重なことなのか、みんなにはまだわかっていないんです」
「けん玉遊びは、おやめになるほうがいいわ、シャルル、玉座に馬乗りに座るのもよ! 国王らしくありませんわ!」
「ほっといてください。失敗したところで、玉は、指の上か、鼻の上に落ちるだけです。痛いのは私だけ。片手に玉を持ち、もう片手には棒を持ち、玉座に背筋をのばして座り、まじめに自分の言動に重きを置きはじめたら、私がなにかへまをするたびに、玉はあなたがたの鼻の上に落ちることになるのですよ」(88ページ)

 彼らが丁丁発止と交わす会話は読み応えがある。前半部分の、ジャンヌがボードリクール隊長やシャルル王太子を説得する場面などは圧巻で、読むのを中途でやめることはできない。場面によって緩急自在なところもよい。
 扱われている問題は、個人としての生のあり方とかいったところだろう。終盤のジャンヌの言葉、たとえば、

わたしがジャンヌでなくなったら、わたしになにが残るでしょうか。(192ページ)

あたしは身を固めて終わりたくない! こんな形の終止符はいや。幸せな結末はいや。終わりのない結末はいや……(193ページ)

 これらのセリフから明らかである。これ自体はまあ、そう目新しい言葉ではないと思うが、シャルルやウォーリックなどの人物に、対照的な価値観を提出させているところはいい。まあ実際、ウォーリックのセリフにあるように、ジャンヌの決断は俗っぽいよな。
 このままジャンヌが火刑に処されていれば俗っぽく終わったところだが、結末に逆転が用意されていたのがまた面白かった。いきなりボードリクールが待った待ったと叫びながら再登場してきたときは何が起こるかと思ったが、こういう落ちをつけるとは。おかげで心地良い驚きのまま本を閉じることができた。