サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』
ベケットについては、『マーフィ』とか『名づけえぬもの』とか読みかけては挫折していた私だが、ようやく一冊読了できた。読み終わってみれば、なるほど凄えや。
- 作者: サミュエル・ベケット,安堂信也,高橋康也
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1990/10
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 43回
- この商品を含むブログ (55件) を見る
「どうも……立ち去りがたい」
「これが世の中ですよ」(78ページ)
二幕の劇。一本の木が立っているほかはなにもない田舎の路上で、ゴゴとディディという二人の男がゴドーを待ちながら脈絡なくしゃべり続ける。
ジョイスの弟子たるベケットだが、師とは違う意味で難解だった。
個々の場面は面白い。木の真似をしてみたり、意味もなく自殺しようとしてみたり、ポッツォとラッキーという妙ちくりんな二人組が出てきたり、帽子を何度も繰り返し交換してみたり、踊ったり演説したり。第二幕の真中あたりで、ゴゴとディディが「ポッツォとラッキーごっこ」を始めるくだりなどには思わず吹き出した。
そういうのを見て笑って終われれば話は簡単なのだが、そこは問題作として有名なこの『ゴドー』、当然、そう一筋縄ではいかない。全体を見ると、どうにもつかみどころがない。全体を貫く筋がないのは言うまでもないが、かわりに何があるのかがよくわからない(なにかありそうではある)。死とか暴力とか苦痛とか、優柔不断とか、あるいは作り物臭さとか、作品を読み解く鍵らしきものはあちこちに散らばっているのだが、この鍵をどう組み合わせれば門が開くのかさっぱりわからない。
何を読んでいるのか、何を手にとっているのかわからないことからくる不安、その不安のために読書中は絶妙の気持ち悪さを楽しめる。ともあれこれは読まねば始まらない、まずは一度お試しを。