書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ハインリヒ・マン『ウンラート教授』

 ハインリヒ・マンはかのトーマス・マンの兄なわけだが、知名度はぐっと下がる。そもそも彼ら兄弟が世に出たときから、トーマスが『ブッテンブローク家の人々』で大ヒットを飛ばしたのに対し、ハインリヒの『ウンラート教授』は好事家の間で話題になるにとどまったようだ。日本語訳も戦前に一種類出たきりだったが、今回70年ぶりに新訳刊行と相成った。さてさて、本当に無名のまま忘れ去られて良い作家かな?

ウンラート教授―あるいは、一暴君の末路

ウンラート教授―あるいは、一暴君の末路

ウンラートは唖然とした。キーゼラックが奈落に落ちたことを今初めて知ったのだ。それを引き起こしたのは自分なのだ、という不意の喜びに、ウンラートは燃え上がった。自分の例が他の人間にとって危険を意味しうること、町に破滅の種を蒔きうること、このことに彼は今まで気づかなかった。今や、復讐の望みが開かれ、彼を鼓舞した。(198ページ)

 ギムナジウムの国語科教授ラートは、いかにして生徒を落第させるかに心を砕く男で、生徒たちからウンラート(汚物)と呼ばれ忌み嫌われていた。ある日、彼は早熟な生徒ローマンから回収したノートのうちに、女優フレーリヒに捧げられた不道徳な詩を見つける。事の次第を究明せんとフレーリヒと接触したウンラートだが、やがてフレーリヒに心ひかれていく。これが破局の始まりだった……。

 卑劣な俗物教師が夜の女にはまって身をもちくずしていく話かと予想し、そういう下世話な話がわりと好物な私は早速購入して読んでみたわけだが、その予想は良い意味で裏切られた。話の展開はもっと複雑だし、ウンラートの屈折と破滅はそんなありきたりの形では訪れなかった。その筋書きといい、人物・心理の書き方といい、――いやはや、オールタイムベスト級の小説だよ、これは!
 この小説のすごいところは、まず第一に人物造型。読み始めは「最低の教師」という印象しかなかったウンラートが、読み進めるにつれてどんどん複雑な内面を持っていったのには驚いた。序盤は教師の戯画、風刺の対象だった彼は、後半には物語を強烈に牽引するダークヒーローに変身する。ヒロインのフレーリヒも、軽薄な女優だろうと予期していたけれど、まあ軽薄さは確かに持っているんだが、それだけでは片付けられない人物として描かれている。またウンラートの学生のうちでは、スタンダールの主人公を思わせるローマンや、腕っ節は強いが頭はからっぽなエアツムが印象に残る(ローマンはウンラートのライバル的存在として小説中きわめて重要な役割をになう)。
 第二に、これが最も重要だと思うのだが、心理描写。複雑な内面を持つ人物たちの矛盾した心情が明快かつリアルに描かれている上、各人が各人の心理を読み違えるさま、その読み違えからさらに大きな誤解がうまれていくさまの描き方が抜群にうまい。リアリズム系心理小説としては、ドイツといわず世界文学全ての中でも五指に入るのではなかろうか。
 第三に、諧謔。ウンラートはもちろんだが、その対照であるローマンにしても、作者の皮肉な視線を逃れてはいない。全篇の文章に「悲劇的イロニー」があふれていて、もっとも恐ろしい場面でも笑いがこみあげてきたり、もっとも滑稽な場面でも寒気を感じたり。
 これらの要素が筋書き自体の面白さと絶妙に組み合わさって270ページに濃密に押し込まれている。退屈な場面は一箇所もない。小説を読む楽しみを存分に味わわせてくれる本物の傑作だ。

 少なくとも「岩波文庫新潮文庫と両方から出ていて、なおかつ『罪と罰』や『赤と黒』や『ハムレット』と同様「品切れ重版未定」状態にさらされることもなく、さらにもうじき光文社から新訳が出る」くらいの扱いはされていていい小説だと思う。これほどの作品を七十年も放っておいた日本のドイツ文学者と出版業界はなにをやってるんだ。そして訳者の今井敦先生(読みやすい優れた訳文)と松籟社には親指を上に向けて大声でグッジョブと叫びたい。