書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

夏目漱石『坑夫』

 漱石を読むのも随分久しぶりだ。高校生のときに『三四郎』を読んで以来か。

坑夫 (新潮文庫)

坑夫 (新潮文庫)

 上流の家に生まれながら恋愛問題で窮して家を出奔した語り手は、自滅を望んであてもなく歩いていたところ、長蔵という男に坑夫にならないかと誘われ、これを承諾して銅山に入る。

 落魄したインテリ青年の目を通して鉱山労働の実態をあばいた社会派作品、などではない。まあ鉱山の劣悪な労働環境についても少しばかり書いてあるにはあるが、作品の面白さはそんなところにはない。労働小説が読みたいなら、散々言っていることではあるが、ゾラの『ジェルミナール』を読むといい。『坑夫』には『ジェルミナール』のダイナミズムはない。この小説の面白さはぜんぜん別のところにある。
 そう、『坑夫』は変てこな小説である。プロットだけ抜き出せば数行で事足るし、作中で起こる事件にもたいしたものはない。この小説のユニークなところは、肩の力の抜けた(多少、抜けすぎではないかという感じもあるくらいの)語り手の語りと、その精密な自己分析である。自分語りが行き過ぎて小説の筋を脱線することもしばしばで、そのあたりスターン的というかジャン・パウル的というか、それともプルースト的というか、そんな印象である。意識の流れ、とまでいえるかどうかはわからないが。
 名作とは言いにくいかもしれないが、怪作ではある。