書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ウィリアム・サローヤン『わが心高原に』

 サローヤンを読むのは初めて。

ウィリアム・サローヤン〈1〉わが心高原におーい、救けてくれ! (ハヤカワ演劇文庫)

ウィリアム・サローヤン〈1〉わが心高原におーい、救けてくれ! (ハヤカワ演劇文庫)

詩人と言うものは、けっしてこの世から死に絶えることはないのだ。(74ページ)

 舞台はカリフォルニアの田舎町。少年ジョオニイは、詩人の父と、アルメニア移民の祖母と三人で暮らし、食料品屋コサアクに掛売りをしてもらってどうにか口に糊していた。そんな彼らのもとに、ある日、俳優を自称する老人が現れる。

 ジョオニイと中心とした、二人または三人による掛け合いの面白さが作品の見所。深刻な状況にも関わらずユーモアを忘れない逞しさが読んでいて心地良い。ト書きもなかなかふるっていて、

ジョオニイの父「(貴族主義者、鷹揚に)やあこれはこれは。さ、どうぞなかで少しお休みになりませんか。ささやかな晩餐なりとご一緒に願えれば光栄です」
マッグレガア「(現実主義者)わたしはひどく腹が減っているのです。では休ませてもらいましょう」
ジョオニイ「(浪漫主義者)お爺さん、「君が瞳もて我に盃上げよ」っていうの吹ける?(中略)」
マッグレガア「(世の幻滅を味わった人)坊や、坊やも爺やの年になると、大事なのは歌じゃない、パンなんだってことが分かるようになるよ」
ジョオニイ「(信念の人)何だっていいや、とにかく、ぼくはその歌聞かして欲しいんだ」

 とこんな具合。短いが鮮明なト書きが軽妙なやり取りと相まって実に愉快な雰囲気を作り出している。
 ジョオニイ父子やマッグレガア老人がおかれている状況は時を経るごとに悪くなる一方で、劇も時間に従って盛り上がってくる。そのあたりの盛り上げ方も実にうまくて……ジョオニイの父がコサアクに自作の詩を渡す場面なんかはもう、目頭が熱くなってしまった。そのあとの、全篇のクライマックスとなるマッグレガアの独唱の場面は、これは千古の絶唱というべきもので、その激しさに息を飲まされた。
 直球ど真ん中の作品だし、お涙頂戴といえなくもないけれども、それでもお薦めしたい名作だった。