書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

イヴァン・ゴンチャロフ『日本渡航記』

 『断崖』はいっこうに復刊されないし、『平凡物語』も手に入りそうにない中、ゴンチャロフの本が新たに文庫に入ったということでさっそく読んでみた。小説じゃないのは残念だが仕方ない。
 どこでもいいから、『ゴンチャロフ全集』を出してくれないかな。

ゴンチャローフ日本渡航記 (講談社学術文庫)

ゴンチャローフ日本渡航記 (講談社学術文庫)

 長篇の紀行『フリゲート艦パルラダ号』のうち、日本に関係の深い「小笠原諸島」「日本におけるロシア人(1)」「日本におけるロシア人(2)」「琉球諸島」の四章、期間にして1853年7月から1854年2月までを収録した抄訳本。プチャーチン提督の指揮するパルラダ号に秘書官として乗船したゴンチャロフが、訪れた各地の見聞と印象を記録につけたもの。

 上海訪問を間に挟んだ形で二章にわたっている「日本におけるロシア人」が本書の大部分を占める。この章は長崎へやってきたプチャーチン江戸幕府の、条約締結のための交渉の様子を描いたもの。よく幕末ものの歴史ドラマなどで、外交のノウハウがわからずに右往左往する幕府官僚たちの様子が滑稽に描かれたりするけれど、ゴンチャロフの記述を見ていると、幕府の対応はひたすら延引策につとめるばかりで、そのやり口もやはり拙劣だったらしい。誤魔化しの策を出すたびにプチャーチンゴンチャロフに見抜かれ、逆に手玉にとられて慌てふためく様子はまったくだらしがない。それでも長崎の官僚たちはともかく、江戸から派遣された全権の川路聖謨などはさすがに堂々とした態度で交渉に当たったらしく、ゴンチャロフの記録も好意的である。
 文士、小説家なんてものは、世間知らずで実行能力に乏しそうに見えるが、外交交渉の場面でのゴンチャロフの知略と眼力はかなりのもので、川路ら日本側の交渉係も彼を軍師だと見なしていたらしい。『オブローモフ』の作者の意外な一面が見えた。
 いっぽう、台風に巻き込まれて船内で難渋したときの記録や、小笠原諸島を訪問して暑さにやられたときの記録のぐったりした様子などには、ああ、やはりこの人は『オブローモフ』の作者なのだ、と思えたりもした。