書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

世界文学オタが非オタの彼女に世界文学世界を軽く紹介するための10作

アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
 便乗。ツッコミどころ満載。

 まあ、どのくらいの数の世界文学オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない文学の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
 ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、世界文学のことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
 (要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に世界文学を布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
 あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う5分冊、10分冊の作品は避けたい。
 できれば1巻本、長くても上中下三巻にとどめたい。
 あと、いくら文学的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
 古典好きが『イリアス』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
 そういう感じ。

 彼女の設定は

文学知識はいわゆる「村上春樹」的なものを除けば、ドストエフスキー程度は読んでいる
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

 まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

 まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「リアリズム以前」を濃縮しきっていて、「リアリズム以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも3巻だし。
 ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
 この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。

 アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな文学(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるに一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
 「文学オタとしてはこの二つは“エンタメ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

  • 黄金の壺(ホフマン)

 ある種の幻想文学オタが持ってる別世界への憧憬と、ホフマンのオタ的な文章へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもコメディタッチな
 「学生的な間抜けカッコよさ」を体現するアンゼルムス
 「童貞的に好みな女」を体現するゼルペンティー
 の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

 たぶんこれを見た彼女は「アリスのパクりだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
 この系譜の作品の翻訳がその後続いていないこと、これが中国文学史では高く評価されていること、ロシアなら実写映画になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのが翻訳されないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

  • ルーゴン=マッカール叢書(ゾラ)

 「やっぱり文学は社会を描くものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『虚栄の市』でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このシリーズにかけるゾラの思いが好きだから。
 猛烈な熱意で取材して取材しまくってとうとう20巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「入れる」ということへの執念がいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
 叢書の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがモーパッサンアナトール・フランスだったらきっちり短篇集にしてしまうだろうとも思う。
 なのに、各所に頭下げて迷惑かけて20巻を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語になにもかも取り込んでしまいたいオタク」としては、たとえゾラがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。シリーズ自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

 今の若年層でコルネイユ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
 近代よりも前の段階で、メタフィクションの哲学とか作劇技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品が舞台でこの時代にかかっていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく文学好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるシェイクスピアでしか演劇を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

 ロシア文学の「無用者の系譜」あるいは「オブローモフ気質」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
 「無用者としての毎日から逃げられない」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそペレーヴィン『恐怖の兜』の結末は大脱出以外ではあり得なかったとも思う。
 「無為な日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は19世紀ロシアにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

  • 血みどろ臓物ハイスクール(アッカー)

 これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
 こういうジュヴナイル風味の青春彷徨ものをこういうかたちで作品化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

 9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
 ブヴァールから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、『ドン・キホーテ』以来のパロディ精神を引き継ぐ作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
 というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。


 「駄目だこの寝ぼけた昼夜逆転野郎は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
 こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。