書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

「ドイツ現代戯曲選30」まとめ感想

 さて、昨年春からちまちまと読んできた、現代ドイツ、オーストリアの作家の戯曲作品を集めた叢書「ドイツ現代戯曲選30」、なんだかんだで全巻読破にこぎつけたのでまとめ感想でも書いておこう。

 まずなにより、わりと伝統的なスタイルの性格劇から、青春もの、世情風刺、古典改作、不条理作品、とても戯曲とは思えないような形をしたテクストまで、作品の内容が非常に多彩であることは特筆に価する。逆に言えば、当たり外れが大きく、ついていけない作品も多い。ネットに感想もほとんどあがっていないから、読んでみるまで自分に合うかどうかさっぱり分からない(そこがまた爆弾を扱うみたいでハラハラして楽しい、なんて言ったら失礼か)。
 作家の並びを見ると、ハイナー・ミュラー、トーマス・ベルンハルト、エルフリーデ・イェリネクなどの大物が入っている一方、聞いたことのない人も多く、その世代も1914年生まれのタボーリから、1972年生まれのマイエンブルクまでと幅広い。特に60年代、70年代生まれの、売出し中の若手作家が入っているのは、海外文学の叢書としては先物買い的で面白い。
 白黒の写真の上に半透明のカバーという珍しい装丁もちょっと面白い。しかも一巻から三十巻まで並べると黄色→オレンジ→赤と綺麗なグラデーションになるあたりは、コレクション魂を刺激して心憎い。


 以下、印象的な作品の個別紹介をば。
 ファスビンダーは、映画監督としては日本でも知名らしいが、私は不勉強にして初耳の作家だった。「月。というのは月は都市と同じく居住不能な場所だから」というぶっとんだト書きで始まる『ゴミ、都市そして死』は、現代の都市に生きる人々の群像を時にリアルに、時に象徴的に描き出した刺激的な傑作。最初に読んだ作品がこれでなかったら、この叢書を全部読もうなんて気は起こさなかったかもしれない。ただ同じファスビンダーの『ブレーメンの自由』のほうは、どうも楽しめなかった。
 リヒター『エレクトロニック・シティ』は、同じく都市生活を扱っているが、こちらはタイトル通り電子の世界、マルチメディアによる世界のつながりとその現実への侵食のほうに関心を寄せている。デジタルな雰囲気とノンストップな勢いがあって、難解ながらつい先へ先へ読み進めてしまう作品になっている。
 シンメルプフェニヒ『前と後』の舞台は、ホテルの一室という狭い場所。51場の短い場面で構成された作品で、さまざまな人物が登場し、異様な出来事が起こったり、凡庸な記憶を語ったり、不思議な会話をしたりする。登場するのは男女のカップルが多いが、中には絵の中に入ってしまう男や異次元生命体とハンターなどもいたり。これはちょっと奇妙な感触の作品。
 叢書中最年長作家のタボーリの作品『ゴルトベルク変奏曲』は、聖書を舞台化しようとする演出家を通して、人類の歴史をパロディ化したメタフィクション。素材の料理の上手さには、さすが超ベテラン作家とうならされる。難解な代物が多い叢書のうち、めずらしくはっきりここが面白いと説明できる作品である。
 同じくメタ演劇の要素を多分に含むベルンハルト『座長ブルスコン』は、主人公ブルスコンの滑稽な饒舌が光る秀作。
 ミュラー『指令』は幻想味とグロテスクな表現が鮮烈。カーター『愛するとき死ぬとき』は小説のような異様なスタイルだが、青春ものな内容そのものは分かりやすく、感情描写も細やか(そんなものが戯曲のテクストに存在するのが異常ではあるが)。デュッフェル『バルコニーの情景』はかみ合わない対話が面白く、深刻ながら滑稽であるところがいい。個人的に一番気になっていたのはノーベル文学賞のイェリネクだったのだが、『レストハウス』はまだしも、『汝、気にすることなかれ』は難解すぎてついていけなかった。最初に読むなら『レストハウス』のほうが安全かと。


 特にリヒター、シンメルプフェニヒといったあたりの人たちはまだ年齢的にも若く、これからの活躍も期待されるから、ぜひ翻訳が続いてほしいと思う。