書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

『唐詩選』と明詩史の話

 日本語学科の学生に日本語で中国文学の話をしてくれと頼まれたので、した。私の大好きな日本でも中国でもどマイナーな小説の話をしようかと思ったんだが、むしろ日中で有名度に差がある本の話とかのほうがいいかと考え直して、ぜんぜん専門外だけどタイトルの通りの話をしたわけ。ま、ほとんどは私の師匠の話と、吉川幸次郎元明詩概説』からの受け売りだけどね。

元明詩概説 (岩波文庫)

元明詩概説 (岩波文庫)

 以下、その場で話したことをうろ覚えで記す。なにせ話をしたのは4月上旬だから、もうだいぶ忘れてるけど。


 日本で漢詩を読もうって人は、高確率で李攀竜の編んだ『唐詩選』を手に取ることになるんだけど、中国ではこの本を読んだ人どころか、こんな本があるってことを知ってる人自体が少ない(というかほとんどいない)。漢籍って、わざわざ輸入してきた貴重な本だから、日本ではえらく珍重される。それで中国では滅びたり廃れたりした本が日本では残るってことがままあるんだが、『唐詩選』もそういう、中国ではとっくに忘れられたのに、日本では今なお残ってる本のひとつなわけ。
 なんで『唐詩選』が中国では廃れたか、っていう話をするには、まず明代の詩の歴史を概括しとかなきゃいけない。
 明代最初の偉大な詩人として、高啓って人がいるんだが、まあ生きた時代が悪かった。明最初の皇帝っていえば、あの誰も彼も殺しまくった朱元璋だ。高啓も彼の目に止まって処刑されてしまった。
 そのあと詩作活動の中心になったのは官僚たちで、その詩風は「台閣体」って呼ばれるんだけど、これが淡白なばっかりの退屈な詩風だった。そこで詩を改革しようという運動がおきるわけ。この運動の担い手になったのは、「古文辞派」と呼ばれる人たちで。曰く、今の詩はだめだ。ではどういう詩を作ればいいか? そもそもどんなのがいい詩なのか? 誰だって知ってるだろ、唐代、というか、盛唐の詩が最高だってことくらい。だから唐詩を読んでそれを模倣しよう。
 最初にこの運動を推し進めたのは李夢陽、何景明ら七人で、彼らを前七子と呼ぶ。前七子が亡くなったあとに文壇を襲ったのが後七子で、『唐詩選』の李攀竜もその一人。すごい主張するよ。「文は必ず秦漢、詩は必ず盛唐。宋以後の書を読まず」っていうの。極端にも程がある。
 でもこれが当時はえらく流行した。特に文学の大衆化に大きく貢献した。古典主義と大衆化って相容れないように思えるけど、意外とそうでもなかったんだな。だって文章書きたきゃ司馬遷・班固を読んで真似すればいいし、詩を書きたきゃ李白杜甫を読んで真似すればいいっていうわけだから、簡単なもんだよ。李攀竜がつくったという『唐詩選』も、この古文辞派の流行とともに大いにもてはやされたわけ。
 当然、批判も出てくる。
 古文辞派一色だった文壇を塗り替えたのは、袁宏道って人。兄の袁宗道、弟の袁中道とともに三袁と呼ばれる。また彼らが公安(地名)の出身だったので、このグループは公安派とも呼ばれる。袁宏道の主張はこうだ。「俺たちは李白杜甫じゃないし、唐の時代に生きてるんでもない。じゃあ無理して彼らの真似したって仕方ないじゃない。俺たちは俺たちの言葉で、俺たちの見たこと感じたことを書こうぜ」。ごもっともです。
 ただ、今度はどうも浅薄・卑俗っぽい雰囲気の作品が増えてしまった。そこで登場してくるのが鐘伯敬とか譚元春とか「竟陵派」と呼ばれる人たちで、奇抜な着想をもとに詩を作ることを始めたんだが、今度はなんだか晦渋すぎてわけのわからないものになってしまった。こうして文壇が爛熟し始めたころ、明の時代も終わりが近づいていたわけだ。

 それで李攀竜の『唐詩選』の話だけど、実はこれ問題の多い書物なんで。まず第一に、唐詩のアンソロジーとしては収録作が偏りすぎてる。まあ「詩は必ず盛唐」なんて言ってた人だから、彼の文学観を忠実に表してるといえばその通りなんだが、ほんとに李白李白李白杜甫杜甫杜甫王維王維王維……確かに彼らは優れた詩人だけど、詩ってそれだけじゃないでしょ。特に中唐・晩唐詩の扱いはひどくて、たとえば白居易とか杜牧なんかはひとつも収録されてなかったりするわけ。だから古文辞派が廃れるとこの本も廃れだした。清代になったら、もっとバランスのとれた『唐詩三百首』なんて本も出たしね*1
 もひとつ、致命的な欠陥がこの本にはあった。あの四庫全書を編纂しているときに判明したことだが、この本、本屋が李攀竜の名を騙り、彼の著作を勝手に切り貼り編集して印刷した贋作だったんだ。それですっかり、この本からは権威が失われてしまって、いまや誰も見向きもしない本になってしまったというわけだ。
 日本では、大きな書店に行けば買えるけどね。
 日本での『唐詩選』受容だけど、途中までは中国とそう変わらない。古文辞が流行している間はおおいに推奨され、しかしそのうちこの本の問題点も指摘されるようになった。でも決定的に衰落するところまではいかず、むしろ現在まで権力を保ち続けている。そのせいか日本では中唐詩はわりとマイナーな存在に甘んじているような気がする。白居易だけは別だけどね。


 ※

 とまあ、ざっとこんなことを話したわけですが……。
 やっぱ実作ほとんど読まずに文学史の知識だけで語るとなんか空しい。今度誘われたら小説史の話をしよう。

*1:今の中国人は普通は最初にこれを読む。ちなみに翻訳は東洋文庫から出ている