書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

古橋秀之『ケルベロス 壱』

「確かに、金は貧乏人に貸すのが面白うございます」
「金のねえ奴に貸したって、返ってこねえだろうが」
「それ、そこで」
 壁の向こうで、嚢全がひゅッと笑う気配がした。
「返ってこないのが増えてきますと、たまに街を歩く折り、貸しっぱなしの相手に遭うこともありますな」
「ハ、そいつは相手が気まずいや」
 身に覚えあり、と廉把が苦笑すると、
「ええ、ですからそういうのは、わっしの顔を見るなり、顔色変えて逃げていくのであります。世の中に、これほど愉快なことはございませんな。わっしはその姿を、見料を払って拝ませていただいているようなもので。ひぇッひぇッ」(270ページ)

 中華風ファンタジー。飛鏢の名手である廉把は、戦場で覇王・螺粠を討ち取り、それを足がかりに天下を狙うつもりであったが、螺粠のあまりの強さに打ち負かされ、野心を失ってごろつきのように数年を過ごす。あるとき、相棒の鐘撞き男・浪无が野良猫のような汚い少女を拾ってくる。少女は螺粠に滅ぼされた蘭朝の王女だと自称する。

 秋山瑞人とのシェアードワールド「龍盤七朝」シリーズの、古橋サイド第一巻。奇しくもなのか、意図的なのかはわからないが、無気力だが凄腕の青年と、気は強いが不遇な王女が出会うという枠組みが共通している。まあ共通しているのは大枠だけで中身は全然違うのだけれど。
 一筋縄ではいかない主人公廉把とほかの登場人物たちの掛け合いも面白いし、登場したときは野獣みたいだったヒロインの蘭珈がだんだん丸くなっていくあたりも可愛らしくて良いのであるが、敵役の螺粠が実にとんでもないキャラ立てをされていて、特に「鐚一文」の章の湯浴みのシーンの描写は圧倒的。このハチャメチャさが古橋の真骨頂。これはちょっと金庸古龍を読んでいてもお目にかかれないな。
 ちょっと気になったのは固有名詞の漢字の読み方。秋山は現代日本・中国の読みにはない読み方をさせていたけれど、古橋は基本的に現代日本語の発音に準拠している。このところ、両作家の間に相談はあったのかなかったのか。