トム・ストッパード『コースト・オブ・ユートピア』
トム・ストッパード (1) コースト・オブ・ユートピア――ユートピアの岸へ(ハヤカワ演劇文庫 26)
- 作者: トム・ストッパード,広田敦郎
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/01/30
- メディア: 文庫
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子供はみんな大人になる。だから我々は、子供の目的は大人になることだと考える。だが子供の目的は子供でいることだ。(377ページ)
革命思想家ゲルツェンは、「デカブリストのかたきを討つ」ことを夢見て故国ロシアを去り、パリへ移り住む。時にバクーニンやツルゲーネフら、友人たちも多くが西欧へやってきていた。しかしゲルツェンは1848年の革命の結末に失望し、行動派のバクーニンとは決別して、漸進的な改革を目指すようになる。
史劇。全三部、600ページ近い巨編。東京での舞台上演の際は9時間以上もかかったらしい。また作中では三十年も時間が経過する。舞台もヨーロッパ全域にまたがり、テーマも思想に革命(そしてもちろん恋愛も)と多岐にわたる……というか、19世紀ヨーロッパの歴史を全て盛り込んでいるような内容。登場人物もゲルツェン、バクーニン、ツルゲーネフらのほか、マルクスやコシュートなども出てくるし、言及されるだけだがプーシキンやドストエフスキー、ジョルジュ・サンド、マイナーどころではソログープ*1などの名前も見える。かのニヒリスト・バザーロフもちらっと登場。ほとんど19世紀西洋オールスターといった感じ。
時間が多少前後するほかは奇を衒った趣向はなく、正統派の戯曲に見える。ただし中身はかなり濃い。たぎるように熱烈な、しかし華やかな亡命貴族たちの思索と生活が丁寧に映し出されている。挫折や失望を繰り返して変わっていくゲルツェンと、しょっちゅう変わっているようで根っこは何も変わらないバクーニンとの対比が面白い。バクーニンのトリックスター的な活躍ぶりは全編通して目ざましいものがあり、セリフも冴え渡っている。
「想像もつかないよ、軍全体が兵隊ごっこに夢中なんだ……」(34ページ)
とか、
「俺は実際マルクスをおおいに尊敬している。俺たちはお互い表舞台で労働者の自由解放を目指す仲だ。だが真の自由とは自発性だ。権力に服従するというのは人間の精神的本質からすれば屈辱だ、規律というのはすべて悪。我々にとって第一の任務は権力の破壊、第二の任務はない。」
「しかし君の――いや、我々の敵は、マルクスの「インターナショナル」の何万人という会員だぞ」
「そこへ俺の「秘密同盟」が登場する。鉄の規律による献身的革命集団だ。俺の絶対権力に服従する義務を負う……」
「ちょっと待て」(584ページ)
これなんかは読んでいて萌え死ぬかと思った。
一方、傷心してイギリスへ向かう途中のゲルツェンを、バクーニンの幽霊が(死んでないけど)見送りにくる場面なんかはほろりときたかな。
あとはツルゲーネフだが、彼も文学者として他の人物と付かず離れず、絶妙の位置を占めていて(それを周りからは理解されないのだが)、良い存在感を示している。なんだか読んでいて久々に『父と子』を読み返したくなった。
分量のわりにぐいぐいと読み進められて満足できるよい戯曲。下手な大作小説を読むよりお腹一杯になれるかもしれない。おすすめ。