書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ハシント・ベナベンテ『作り上げた利害』

作り上げた利害 (岩波文庫)

作り上げた利害 (岩波文庫)

「じゃあ、この空っ尻が何を差出せるんだい。」
「馬鹿に手前を安く見やがる奴だなあ! いいか、おい、男ってものを裸体で投出してよ、それが一文の価値もねえと思ってるんかい。男なら兵隊になれらあ、兵隊は勇気一つで勝利を決めることが出来らあ。男なら色男にも亭主にもなれらあ、色男なり亭主なりになって、憂鬱病で死ぬ思いの良い地位の奥様や、筋目正しいお姫様を癒す苦くない薬になれらあ。男ならまた、豪勢な殿様に奉公してよ、お気に言って取立てられ、懐中刀にもなれらあ。男ならまだまだ数えきれねえものになれらあ。上へ上るためなら、どんな踏台だって、構わねえじゃねえか。」
「その踏台さえ無えんだったら、どうする?」
「おれのこの背中を貸してやらあな。乗っかって、うんと高くなりねえ。」
「そいで、二人とも倒れちゃったら?」
「まあな、怪我のねえように、お願い申すだけよ。」(12ページ。旧字旧仮名は改変)

 二幕の喜劇。舞台は十七世紀の架空の町。二人のならず者が町を訪れる。若く美貌だが弱気で根は正直なレアンドロと、海千山千で舌も頭もまわるクリスピン。クリスピンは町の人々を欺いてレアンドロを偉大な人物を思わせ、彼を富豪ポリチネーラの娘シルビアと結婚させようとたくらむ。

 短くて安かったから買ってみたという程度で、タイトルも地味であるし、さまで期待もしていなかったのだが、すばらしい傑作だった。岩波の赤帯の古い本には時々こういうのがまぎれているのでチェックを怠るわけにはいかない。
 作者は1922年のノーベル文学賞受賞者。この作品は1907年初演の戯曲なので、この翻訳版の出版年は古いが、作品自体は岩波文庫の中では新しいほうだろう。訳文はとにかく最高の一言。古めかしいことは古めかしいが、生硬さはまったくなく、伸びやかで読んでいて楽しい。旧字旧仮名はもう慣れるしか。
 新しい作品と言っておいてなんだが、内容は割と古典的な性格喜劇で、人物のキャラクター造型は基本的に単純。長いセリフが多いのも古典っぽいところ。ただしそのセリフは(訳文の出来も加わって)とても生動していて、ワサビも良い感じに効いている。特に手八丁口八丁で話を動かしていくクリスピンの辣腕ぶりは見事で、彼のセリフは全部が名言といって差し支えない。

「さあ、わたしの殿様がどういう方か、もうおわかりになりましたろう、高踏的思想を抱かれる御方、美しい夢を趁われるお方です。このわたしが何者であるか、それももうおわかりでしょう、下劣な任務に就く者、いつも極く成下がって、虚偽という虚偽、悪という悪、浅ましさという浅ましさの中へ鼻を突込み、かっぽじり歩く者なんです。唯このわたしにも、わたしを救い、わたし自身の眼をして仰ぎ視させるものがあるんです、それは、しもべとしてのこの赤誠です。身をぐっと低くして地平を這い、以って他を高く翔ばしめ、常に高踏的思想を抱くの殿様、美しい夢を趁うの殿様にさせるこの赤誠です。」(37ページ)

 あながち全部が嘘でもないのが面白いところだ。あとはシルビアに本当に惚れ込んでしまったレアンドロを励ます場面など。

「傍へ来たら、軽はずみをやるまいぜ……言葉数を少く、極く少くな……憧憬れろよ、見恍れろよ、感に打たれろよ、そうしてな、恋にふさわしいこの薄青い夜の美しさや、音色音色を樹の間に消して、歓楽の果ての哀傷のように伝ってくるあの音楽に、おめえの胸を語って貰え。」
「揶揄うのは止してくれ、クリスピン。この死ぬ思いの恋をからかうのはよしてくれ。」
「からかう筈はねえじゃねえか。おれはな、地べたを嗅ぎ廻ってばかりいるんじゃ、駄目だってことを、知ってらあな。時たまは、地べた全体を見渡すために、空を翔ぶ必要があらあな。だから、今はおめえが翔びゃあ可いんだ。おれはもう少し這い廻わるからな。世界はおれ達のものだぜ!」(57ページ)

 初めから終わりまで颯爽としたこのキャラクターは、文学史上最高にかっこいい悪漢の一人であると思うし、このキャラクターを生み出したというだけで、この戯曲は傑作の名を冠せられるにふさわしいと思う。
 一級品です。いちおし。