書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

トリスタン・ツァラ『ムッシュー・アンチピリンの宣言』

ムッシュー・アンチピリンの宣言―ダダ宣言集 (光文社古典新訳文庫)

ムッシュー・アンチピリンの宣言―ダダ宣言集 (光文社古典新訳文庫)

ひとつの宣言を発するためには、望まなくてはならない。A・B・Cが1・2・3にぶつかって爆発することを。(「ダダ宣言1918」、22ページ)

 なにこれかっこいい。

 副題に「ダダ宣言集」とついている通り、ツァラの宣言の翻訳がメインの本。それから評論と詩の翻訳、訳者によるかなり詳しい伝記と年譜と解説がついている。ツァラのダダ思想の根っこをつかむのに便利だが、詩の翻訳が少ないのが残念。この本とは別に『ツァラ詩集』を出して欲しいところだ。
 「ダダは何も意味しない」という言葉のイメージに反して、かなり直球で熱い言葉で語っているのが印象的。さっき言ったことをすぐ取り消すような韜晦も見られるけれども、通読して感じ取られるのは力強さと爽快感だ。

どのページも爆発しなくてはならない、深くて重い真剣さによって、渦巻きやめまいによって、新しさによって、永遠によって、圧倒的な冗談によって、原則への熱狂によって、あるいは印刷方法によって。こんなページこそは、ゆらめいて遠ざかる世界だ。地獄の音階を響かせる鈴たちと婚約した世界、反対側の世界だ。そこには、新しい人間たちがいる。(31ページ)

 こんなんばっかなわけですよ。ねえツァラ先生、あなた酔ってるの? 坊やだからなの? あまりに「力強く、まっすぐで、明確で(38ページ)」あるために、読んでて恥ずかしくなる。身もだえしたくなるほど恥ずかしくなる。すごく楽しいけど。
 というわけで、ここを読んでいるみなさんもこの本を読んで、自分が若くて頭の中がお祭り騒ぎだったころを思い出すといいと思う。それでそのあと『ルバイヤート』でも読んでバランスを取るといいんじゃないかな。