書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

サマセット・モーム『昔も今も』

昔も今も (ちくま文庫)

昔も今も (ちくま文庫)

おれぐらい人生を知るようになったら、よくよくわかるだろうよ。つまり、この世で後悔することがあるとしたら、それは誘惑に屈したことではなく、誘惑を斥けたことだということが。(244ページ)

 イタリア統一の野望に燃える梟雄チェーザレ・ボルジアは、配下の傭兵隊長の謀反に手を焼きつつも、自分に協力しないフィレンツェ共和国に圧迫をかけてくる。フィレンツェ政府は時間稼ぎのために、実際には何の決定権も持たない使節としてマキアヴェリを派遣。チェーザレの追求をどうにかかわそうとする。チェーザレマキアヴェリは火花散るようなやり取りをかわす。一方でマキアヴェリは、滞在先の伝手であるバルトロメオの若妻アウレリアにほれ込み、どうにかして彼女と寝ようと画策する。

 あまり歴史小説書きというイメージのないモームだが、弘法筆を選ばずというわけか、16世紀初頭のイタリアを舞台にしたこの小説も安定の面白さであった。モームの作品のなかではあまり知られていないのが不思議なくらいだ。
 なにしろ主人公にして狂言回しであるマキアヴェリがいい。チェーザレとの丁々発止のやり取りの中、彼の英邁さに心ひかれつつも、フィレンツェの自由への忠誠は揺らがない(愚図どもが足を引っ張り合ってるどうしようもない小国だけれども)。そういう高邁な面を持ちつつも、一方では姦通のための策略を熱心におしすすめていたり、思ってもみない人物に出し抜かれたり。で、チェーザレとの交流はマキアヴェリの名を不滅のものとしている『君主論』に、浮気の話のほうは彼の業績のなかではあんまり顧みられていない『マンドラゴラ』(この戯曲はおもしろいのかねえ。少し気になる)に結実する、という落ちもよい。
 タイトルは「昔も今も、人々の興味の的は戦争と色事」の謂か。デス・アンド・セックス。そういう意味ではすがすがしいまで俗な小説ではある。