書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

エドモン・ド・ゴンクール/ジュール・ド・ゴンクール『ゴンクールの日記』

ゴンクールの日記(上) (岩波文庫)

ゴンクールの日記(上) (岩波文庫)

ゴンクールの日記(下) (岩波文庫)

ゴンクールの日記(下) (岩波文庫)

 フランスの作家・歴史家であるゴンクール兄弟による1851年から1896年にかけての日記(1870年までは弟ジュールが、ジュールが死去して以後は兄エドモンが執筆)。日々の雑感や歴史的出来事、ほかの作家などとの交際の所感などが書き留めてある。岩波文庫版は抄訳。

 面白い本。19世紀フランスのあの綺羅星のごとき作家が次々登場し、文学にまつわる意見を述べ合ったりするので(でも猥談していることのほうが多い)、仏文に少しでも興味のある人ならば読んで損はしないであろう。とりわけフローベールは、エドモン・ゴンクールとは歳も近く仲が良かったようで、全編にわたり頻繁に登場する。
 読み始めてまず目に付くのは、兄弟の異様なベッタリっぷり……というか、『悪童日記』さながらの一心同体ぶりである(ゴンクール兄弟は双子どころか8歳も歳が離れている!)。青年時代後期に入ってる二人のこうした様子は、はっきり言って気持ち悪い。

われらふたりの生涯ではじめて、ひとりの女性のせいでわたしたちは離ればなれになった。(上巻、139ページ)

 おう、恋愛沙汰かな? と思うじゃありませんか。その次の文章を読んだときは思わず吹き出した。

女性とはシャトールー公爵夫人だ。ルベール・コレクションに収められている夫人のリシュリューあての内輪の手紙の束を写させてもらうために、どうしてもふたりのうちひとりがルーアンまでの旅行を余儀なくさせられたからだ。

 歴史史料を閲覧しに出かけただけかよ!

 あとは辛辣というか、天衣無縫な書きっぷり。とりわけ作家仲間については、人柄に関しても作品に関しても遠慮なく毒舌を浴びせる。たとえばフローベールについて、

フローベールは、主役はいつも彼に委せ、彼がしょっちゅう窓をあけるために風邪をひかされても気にしないという条件さえ認めれば、きわめて気持のよい仲間である。(下巻、73ページ)

 などとワサビを効かせた記述をしている。つきあいも長く親友といって良さそうな相手にすらこれである。その一方で作家の面白エピソード(中学生時代に枕の下にナイフを隠していた、というフローベール中二病エピソードとか)も満載でにやにやできることうけあい。
 また、彼らとの文学談義はきっちり記録していて、文学マニアには気持ちのいい示唆を与えてくれると思う。
 しかし最初に書いたとおり、文学議論なんかより猥談のほうが多い。とりわけ76年5月5日の、ゴンクールフローベールツルゲーネフ、ゾラ、ドーデという錚々たる面子による猥談大会は、四人のキャラが立っていて笑える。

「だけどさあ、そんなことがだよ、一体」とフローベールが叫んだ。自分の肱をしっかりと胸に押しつけている。「愛している女の腕を、食卓に案内しながら、こちらの心臓に一瞬押しつける、そういうことに較べて、何だっていうのかね」
「おやまあ、何てことを」と、ドーデが椅子の上で身をよじり、頭の上で神経的な両手をいらいらと痙攣させている。「そういうのはぼくの趣味じゃありませんね……ぼくという人間は、それじゃ全然おわかりいただけないでしょう……ぼくは、楽しむために、裸の女二人のからだを抱く必要があるんですね。ひとりのほうがぼくがおこなっていて、もうひとりの女はそのぼくがこねまわしている女の尻を噛んでいるわけです」
「でもドーデ、ぼくだって豚は豚だぜ」(下巻26ページ)

 このトークの要約がまたふるっている。フローベールのだけ引用。

フローベールは偽豚の、自称豚。本物の正真正銘の豚である友人たちに遅れをとるまいと豚を装う。

 半世紀近い年月の記録であるため、パリの風俗の変遷とかに興味ある人にも面白かろう。ジャポニズムに関する記述も多数。西園寺公望とか出てくるよ!
 冗談っぽい部分ばかり引用したけれども、何かと楽しい本。買って枕元においておくべし。