書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ローラント・シンメルプフェニヒ『アラビアの夜/昔の女』

アラビアの夜/昔の女

アラビアの夜/昔の女

みんな万事うまくいく、少なくとも今回だけは、なんて幻想を抱きながら生きている。でも結局そうはならない。それどころか以前の状態よりも、事態はいっそう深刻になってしまう。(「アラビアの夜」、54ページ)

 現代ドイツの劇作家シンメルプフェニヒの戯曲二編。どちらも内容的には大まかに言って「日常崩壊系」の範疇か。

 「アラビアの夜」は高層マンションが舞台。マンション管理人ローマイアーは、9階から上での断水の事情を調べるため、8階にあるフランツィスカとファティマの部屋を訪れる。またファティマのボーイフレンドであるカリルは恋人に会うため、フランツィスカの水浴を覗いてしまった隣のマンションのカルパチは無性に彼女と話をしたくなって、それぞれマンションを訪ねてくる。マンション内ですれ違う登場人物たちが、夢うつつのフランツィスカのアラビアの記憶に取り込まれて不条理に遭遇する。
 現代劇らしい奇矯なテキスト。ト書きはほとんどなく、登場人物の行動は独白のうちで示される。フランツィスカ以外のキャラクターは始終マンションの中を行ったり来たりするのだが、移動するたびに「×階」と今いる位置を言葉にする。これがカウントダウン的な感じで、登場人物が遭遇するのかニアミスで終わるのか、緊張感を煽る。
 ローマイアー、ファティマ、カリル、カルパチがうろうろしているうちは話は日常のうちに留まっているのだが(隣のマンションの女性の入浴を覗いて「あの人と水のせせらぎについて語り合いたい」と思った挙句部屋まで訪ねていくのが日常かどうかはおいておく)、カルパチがフランツィスカの部屋にたどりつき、フランツィスカがまどろみながらアラビアで過ごした幼少期の記憶を語りだすあたりからどんどん幻想味を帯びていく。結末は圧巻。

 とっちらかった筋が結末に近づくにつれてまとまっていく「アラビアの夜」、最初から最後までまとめにかかる気なんかない『前と後』に比べると、だいぶまとまった印象を受けるのが「昔の女」。筋は――フランクとクラウディアは十九年連れ添った夫婦で、二人にはアンディという息子がいる。親子三人は明日引っ越す予定で、アンディは恋人ティーナと離別を惜しんでいるところ。そこへフランクの昔の恋人ロミーが訪ねてきて、一家の平穏は破局を迎える、というもの。
 時間が巻き戻ったり繰り返したりとモダンっぽい趣向はあるものの、些細な不協和音から一家が壊滅に突き進んでいく流れは古き良き家庭劇といった感じ。男どもの軽薄さと女たちの怖さが印象的。シンメルプフェニヒの作品を三つ読んだ中では一番「普通」。

 何を繰り出してくるか分からない作家。現代劇ではあるけれども本として読んでも面白い部類だと思う。『前と後』ともどもおすすめ。

前と後 (ドイツ現代戯曲選30)

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