書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

セサル・アイラ『わたしの物語』

わたしの物語 (創造するラテンアメリカ)

わたしの物語 (創造するラテンアメリカ)

わたしは自分の生きる世界は信じる世界とはまったく別ものだと思っていました。(136ページ)

 冒頭で「わたしがどのように修道女になったか」を語ると宣言する語り手。まず六歳のときに父に連れられてアイスクリームを食べに行った記憶を語る。ところがそのアイスクリームで食中毒を起こした語り手の話は、迷妄じみた奇妙な体験ばかりとなる。

 がらっとカラーを変えてきたな、とか読む前には思っていたわけ。「創造するラテンアメリカ」シリーズ、前回配本は

崖っぷち (創造するラテンアメリカ)

崖っぷち (創造するラテンアメリカ)

 この露悪過多な小説だったのだ。対して本書は、表紙はピンクだし、『わたしの物語』というタイトルとか「アイラに注意!」という帯の文句とか、なんとも少女向け小説みたいな雰囲気を醸している。ちょっと「お約束」を外した少女小説……のような内容を想像して読み始めたら、少女小説どころか、そもそも小説のお約束を守ってなかった。
 田舎から町に引っ越してきて、父に連れられて初めてアイスクリームを食べに行く主人公(語り出しとしては王道)。ところが注文したイチゴアイスがまずくて食べられない。ふふん、外してきたな、とか思ったのだが、王道からの逸脱はここで止まらなかった。傷んだアイスに怒った語り手の父はアイスクリーム屋の男をアイスクリームのボトルにねじ込んで死に至らせ、語り手は中毒して幻覚の中をさまよう。この後も奇怪なエピソードが、異様な思考経路をもつ語り手によって語られ続け、(語り手が男なのか女なのかという問題をはじめとする)謎やほのめかしには回答が与えられない。冒頭で掲げられる「わたしがどのように修道女になったか」ということに関しても、いっこう触れられないまま残りページが減っていくので、どうなるんだろうと思いながら読んでいたら、とうとう修道女にならず、なる契機もなしに物語が終わってしまった。
 「信頼できない語り手」系文学の極北と言おうか、自分が男か女かも正直に明かさない嘘つき常習犯な語り手の物語の、いったいどこまでが真実か。いやでも小説なんだから全部虚構にきまってるのか。などと、なんとも釈然としない読後感を得られる。