ラジスラフ・フクス『火葬人』
- 作者: ラジスラフ・フクス,阿部賢一
- 出版社/メーカー: 松籟社
- 発売日: 2013/01/23
- メディア: 単行本
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「人間の生涯において確かなものはなに一つない。将来はつねに不確かで、この不確かさがあらゆる恐怖の源になっている。けれどもすくなくとも、人生でたった一つ確かなものがある。それが死だよ。実際は……神の思し召しで……」
ラジオでは《ノルマ》の偉大なアリアが終わり、ダイニングではしばし沈黙が訪れた。
「おそらく神は、うまく取り計らってくれるはず」(107ページ)
舞台は1930年前のプラハ。コップフルキングル氏は火葬場に勤務しつつ、妻と娘と息子とともに平穏に暮らしている。「死のほかに確かなものはない」という懐疑主義者で、チベット仏教などに心を寄せつつ、世の不条理に心を痛めたりもする。どうやら悪所通いの悪癖を持っているらしいが、基本的には物腰柔らかなごく穏当な男。ところがナチスの侵攻が進むにつれ、コップフルキングルはドイツ人の友人ヴィリの影響のもとナチズムに染まっていく。
非常に淡々とした、特徴のない書きっぷりが特徴。はじめから終わりまでローテンションな感じで物語が進む。破局に至る場面までもそのローテンションな筆致で描いていくのが怖いところ。普通、そういうシーンは多少なりとも大仰に描写してしまうものだが、この小説では破局の場面も平穏な日々の描写と同じように淡々と描いている。
直接の人物の内面描写は一切ないが、描写される外面的な態度――コップフルキングルの物腰・口調は非常に温和で慎重、この人物は激怒したり慟哭したりしそうもないと思わせる。まして、過激な思想に同調などありえそうもない。ところが、この温和な性格も、慎重な態度も、懐疑的な思想も、ヴィリが彼の頭の中に書き込んでいくナチズムの断片から、自身と家族を守るのに、ほとんど用をなさない。で、あるとき、コップフルキングルはとうとう取り返しのつかない行為をしでかしてしまうわけだが、例によって心理の描写などはまったくされないので、以前の彼なら唾棄したであろう行為に走った心境などは推測する余地もなく、非常に唐突な印象を受ける(コップフルキングル当人も最後に壊れちゃったところを見ると、相当ストレスがかかってたのではないかと私は思うけど)。
全編にわたって非常に気味の悪い違和感を感じさせてくれる作品。前回感想をアップした『三代』なんかとはそのへん正反対の方向性を持つ小説といった感じ。