エミール・ゾラ『獣人』
本書の作中で殺人を犯した、または暴力によって人を死においやったことが明記されている人物は、ジャック・ランチエ、ルボー、セヴリーヌ、グランモラン、フロール、ミザール、カビューシュ、ペクーの8人。
ゾラのライフワーク「ルーゴン・マッカール叢書」第十七巻。『居酒屋』のジュルヴェーズの次男で列車の機関士ジャックが主人公の鉄道/犯罪小説。
ル・アーヴル駅の助役ルボーは、妻セヴリーヌがかつてその保護者だったグランモラン裁判長に手を付けられていたことを知り、裁判長を殺すことを決意する。
機関士のジャック・ランチエは、性的に興奮すると相手の女性を殺害したくなるという危険な発作の持ち主。ある晩彼は幼馴染のフロールといい雰囲気になったところで、発作を起こして彼女を殺しそうになり、慌てて逃げて山野を彷徨する。そして疾走する列車の窓から、誰かが人を刺しているのを目撃する。翌朝、線路脇で首を刺されて死んでいるグランモラン裁判長の死体が発見された。
ジャックの証言が曖昧なためルボー夫妻は容疑者から外れる。その後ルボーとセヴリーヌは不仲になり、ジャックはセヴリーヌの愛人に収まる。ジャックの殺人の発作もしばらくはおさまっていたものの、あるときセヴリーヌからグランモラン刺殺の状況を詳細に聞いてしまい、だんだん欲求が抑えきれなくなる。
夫婦の睦みあいがひょんなことからDVに発展し、そこで殺人の計画が練られて、あとは暴力! セックス! 鉄道! 刺殺毒殺自殺テロ! という感じの、ある意味とっても俗な小説。後ろめたいことやってるやつが殺人を見たり聞いたりするシーンが多くて、殺人未遂者ジャックがルボーの殺人を目撃する場面とか、ジャックの育ての親ファジーおばさんが夫から毒殺されかけているという話をジャックとセヴリーヌにする場面(男は殺人を希求する発作もちで、女はすでに人殺しである)とか、なかなかぞくぞくする。
作品の良心といえるのはヒロインのラ・リゾンたん(機関車)。ジャックと助士ペクーが運転する彼女は力強くも従順な愛しい女で、猛吹雪の中を息を荒げつつ突き進んでいく第七章は、犯罪こそおこらないものの作品中随一の読み応え。機械を擬人化して描くのはゾラの得意技だけどここでもその筆が冴えわたる。そのぶん、フロールのテロでラ・リゾンが脱線・大破して退場してからは、ジャックの人格崩壊がひどい勢いで進んでいく。
ちょっとしたきっかけで頭に血が上って暴力に走りかけるのがマッカール家の遺伝、というのが叢書の設定のようだけど、ジャックはその中でも一番危ないタイプ。ふだん温和で知的でハンサムだからなおのことタチが悪い。欲望を果たしてしまったあとは完全にサイコパスと化していて、自分がやった殺人の罪をなすりつけられたカビューシュと法廷で対面して「強盗みたいだけど実はいいやつ」などと内心ひとりごつシーンなんか、これまた戦慄もの。
ジャックをはじめとした獣人どもが殺し殺されて死体を積み重ねたあと、列車は普仏戦争に向かって兵隊を未来へ、死へと運んでいく……というところで、戦争の物語である19巻『壊滅』へ続く!