書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

為永春水『梅暦』から「春色梅児誉美」

 これも19世紀小説だ。

梅暦 上 (岩波文庫 黄 232-1)

梅暦 上 (岩波文庫 黄 232-1)

 

  岩波文庫の『梅暦』は為永春水人情本春色梅児誉美」とその続編四つ「春色辰巳園」「春色恵の花」「英対暖語」「春色梅美婦弥」を収録している。今回「春色梅児誉美」の部分を通読したのでとりあえずそこまでのメモ。

 

 番頭の謀略で富と住居を失った色男の丹次郎のわび住まいに、馴染みの芸者・米八が訪ねてくる。米八は丹次郎を親身に世話する。また、丹次郎は街でかつて許嫁だったお長と出会い、こちらとも交際を再開する。両方にいい顔をして両方に妬かれる丹次郎。のち、侠客の藤兵衛・お由カップルの手助けによって丹次郎は財産を取り戻し、お長が正妻、米八は妾におさまる。

 この小説の魅力はなんといってもバリバリの江戸弁でかわされる会話の台詞まわしで、そこは『八犬伝』みたいな読本では味わえないポイントだろう。最初のほうの丹次郎と米八の会話を試しに引用してみる。

「米八じゃあねえか。どうして来た。そして隠れているここが知れるというもふしぎなこと。マアマアこちらへ、夢じゃねえか」とおきかえりてすわる。

「わちきゃァもう、知れめえかと思って胸がどきどきして、そしてもう急いで歩いたもんだからアア苦しい」と胸をたたき「咽がひっつくようだ」と言いながらそばへすわり、「おまはん煩っていさっしゃるのかえ」とかおをつくづく見て「まことにやせたねえ。マア色のわりいことは、真っ青だヨ。いつ時分からわるいのだえ」

「ナニ十五六日跡からヨ。たいそうなことでもねえが、どうも気がふさいでならねえ。それはいいが手めえまア、どうして知って来たのだ。聞きてえこともたんとある」とすこしなみだぐみてあわれ也。

(仮名遣いと漢字はわたしが勝手に現代ふうに直した。入力めんどくさいんだもん)

 全編こんな感じで……「文学における言文一致は明治時代からはじまった」みたいな教科書の記述は嘘っぱちだということがよくわかる。

 その他こまごまとした面白いところとして、地の文というかト書きというか、登場人物の行動の記述と、登場人物が使う花柳界の隠語に作者がつけてる割注とが区別なく作中に入っていたりする点とか、スポンサーと思しき菓子屋の広告が巻末などではなく作中に入っているとか、

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 いまどきの娯楽小説や、いま読んでもちゃんと「小説」してる山東京伝曲亭馬琴の読本とはスタイルみたいなものが違っていて面白い。そのぶん、お堅い馬琴の小説に比べるとだいぶ読みにくいところはあると感じた。

 そんなわけで興味深い本なのだけど、楽しい小説かと聞かれると……まぁ筋書きと落ちはチャチだなぁと……。ヒロインをいじめるばばあがフグに当たって死ぬとかね、適当すぎて逆に面白いけどさ!