書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

三島由紀夫『絹と明察』

 恥ずかしながら初ミシマ。

絹と明察 (新潮文庫)

絹と明察 (新潮文庫)

 しかし美しかるべき絶妙の瞬間を駒沢は裏切った。
 寿司をつまむ手こそ休めたが、出された手拭でその指の股までも丹念に拭いながら、やがて、
「そら、何かのまちがえやろう」
 と彼は言った。
「まちがいって、わが社はいいかげんなニュースなんか流しませんよ」
 と三浦が自尊心を傷つけられて言った。
「いや、ニュースがまちがえや言うてるのやおまへん。何や若いもんが、誰かにそそのかされて、何かのまちがえでやりだしたことや言うとるんです。うちに限って、そないなあほなことはあらしまへん。一時の酔いみたようなものでっしゃろ。すぐ目が覚めますわ。目が覚めたら、わしに泣きついて来よるやろ。そのときよう言い聞かせてやればそれですむ。わが子同然の連中やさかい、話してわからんことは何もないのや。(144ページ)

 紡績企業を営む駒沢は、社員を子とみなす家族主義経営で会社を大企業に発展させたが、その職場の労働環境は劣悪なものであった。ライバル企業の意を受けた政財界の黒幕・岡野は、駒沢紡績の若き社員・大槻を操り、駒沢のアメリカ旅行中にストライキを起こさせる。

 つまらないとは言わないが、これで戦後日本最大の文豪と言われても困るな、というのが私の感想。文章にはさほど強烈な個性を感じないし、西欧的知性対日本的感性、という対立の構図も独創的とはいえない。キャラクターについては、駒沢、岡野、大槻、菊乃といった主人公連中はどうも類型的な造型に感じられるが、脇役については幾人か光っている者もいる。たとえば、駒沢紡績の女子寮の寮母の一人・里見。自分のところにいた弘子という女工が、病院から大槻に送った手紙を盗み見て――

 背後に菊乃は、里見のみち足りた吐息をきいた。里見ははだけた胸もとへ手をつっこみ、自分の浅黒い乳房を揉み立てながら、手紙を読んでいた。何度も同じ行を辿る目は放恣に潤み、読みながらたびたび呟いた。
「これだけは誰にも読ませてやらんわ。本当に可愛い。……本当に可愛い」(126ページ)

 ――百合もののポルノかよ、と突っ込まずにはいられない。
 そして圧倒的な存在感を放つのが、駒沢の妻で、肺を病んで入院中の房江である。いっそ気持ちいいくらいに嫌な奴なのだ。

「今夜は、こりゃ星は見えへんな。星はストライキで忙しゅうて、顔も見せへんのやろ」
 それまで一言も大槻のことに触れなかった房江が、ついそう言って、弘子の額に浮かぶ翳りを見たときに、いつも欠けた食欲を補うために自分の中に掻き立ててきた、他人の悲しみに対するあの旺んな食欲を、房江はわれながら健やかな思いで味わった。そういうとき、房江は生きていた。(229ページ)

 ――総じて、構成・人物ともによく描けている、いい出来の社会小説だと思う。でもそれ以上ではない。もし文学作品に、普段味わうことのできない異様な体験を求めるのであれば、三島なんかより安部公房大江健三郎を読むべきだ。