書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

オノレ・ド・バルザック『金融小説名篇集』

金融小説名篇集 第7巻 (バルザック「人間喜劇」セレクション)

金融小説名篇集 第7巻 (バルザック「人間喜劇」セレクション)

あの人は何もかも呑み込んでいるんですよ、そのくせちっとも太らないでね。(「ゴプセック」、89ページ)

 「ゴプセック」「ニュシンゲン銀行」「名うてのゴディサール」「骨董室」の四つの中編小説を収める。

 「ゴプセック」は「人間喜劇」シリーズの端々に登場する高利貸し・ゴプセックを主人公にした作品。代訴人デルヴィルが旧知のグランリュー子爵夫人に向かって、ゴプセックの人となりや、彼がかかわったレストー伯爵夫人の借金スキャンダルについて語って聞かせる。
 バルザックの長編はダルくてダメ、という人におすすめしたい秀作。5ページくらいのプロローグが終わると、デルヴィルの生動した語りが、(むろん緩急はつけるものの)我々を最後まで一息に送り届けてくれる。ゴプセックはモノローグでもダイアローグでも見事な台詞回しを披露する名キャラクターであり、「あんたがわしを信用する以上に、わしがあんたを信用しろというのかね」と言った直後に「ああ、ところで、あんたにときどき会いに行ってもいいかね」(40ページ)とか言ってしまう、妙にウェットなところを持っているのも萌えポイント。「どの銀行へ行っても金を貸してもらえなかった」(23ページ)客が来るような金貸しのくせに、読んでいるかぎり不思議と胡散臭さがないのが面白いところ。
 「ニュシンゲン銀行」はゴプセックとは逆に、容姿・台詞・行動・性格といちいち胡散臭いニュシンゲン男爵を主人公としている。
 バルザックといえば不器用な構成で定評があるが(『ゴリオ爺さん』の開幕のだるさは擁護不能なレベル……もちろん『ゴリオ』がむやみに面白い作品であることも否定しようもないが……というか話が動き出すまで長すぎるんだよ!)、この19世紀を代表する作家に、こんな風変わりな構成の作品があるとは意外だった。この作品、語り手が高級クラブで、隣の部屋に入った四人組の会話を壁越しに聞くという体裁をとっている。四人組はラスティニャックの出世とニュシンゲンの策略の裏話について語るのだが、すぐ脱線したり戻ったり、話は容易に進まない。……どうです、20世紀小説っぽいでしょう。面白いかどうかは別の話。
 「名うてのゴディサール」、こちらもシリーズの他作品でお馴染みのゴディサールが主役を張っている作品。この本に収録されている話の中では分量も少なく、話も敏腕セールスマンが地方人にかつがれて、狂人相手に雄弁にセールスを展開するというコメディで、内容も軽め。ときどき妙に噛み合う会話がシュール。
 「骨董室」は文庫本一冊ぶんくらいの分量があり、この本の中では最も長い。話は地方貴族デグリニョン侯爵の息子ヴィクチュルニアンがパリへ上がり、そこで浪費の味を覚えたり、地元の金融業者デュ・クロワジエ(ヴィクチュルニアンには良い顔を見せているが、実はかつてデグリニョン家のサロンに出入りを許されなかったことを怨んでいる)の罠にはまって借金を重ねていき、とうとう手形偽造という犯罪行為にまで手を染めるという話。かつて侯爵家の執事だった公証人・シェネルがヴィクチュルニアンを救うため東奔西走する。
 シェネルの自己犠牲と奮闘ぶり、デュ・クロワジエの悪辣さ、何も知らない父親デグリニョン侯爵の無邪気さなど読みどころは多い。変化球気味の作品が多いこの本の中では、最もバルザックらしい直球の長編。人物・事物に対する細密な描写・独特の比喩には舌を巻かせられる。面白いかどうかは言うまでもない。

 しかし時間をかけ、間にほかの色々な作家を挟みつつ、ぽつぽつと読んでいると、どうしても過去に読んだ作品のキャラの履歴を忘れたりしていかんな。藤原書店から出ている攻略本を買っておくべきかねえ。

バルザック「人間喜劇」ハンドブック (バルザック「人間喜劇」セレクション)

バルザック「人間喜劇」ハンドブック (バルザック「人間喜劇」セレクション)