書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ジャン・ジュネ『女中たち/バルコン』

 お久しぶり。書き方忘れてしまったよ。

女中たち バルコン (岩波文庫)

女中たち バルコン (岩波文庫)

そうとも、冗談なんか言ってもらっちゃ困るね。声を立てて笑おうものなら、いいえ、にやっとするだけで、何もかも台無しだよ。薄笑いがあるというのは、疑いがある証拠よ、お客様はね、厳粛な儀式を求めている。(「バルコン」、182ページ)

 女中姉妹が夜ごと興じる「奥様と女中」ごっことその末路を描いた「女中たち」、売春宿でコスプレにいそしむ連中が外の革命騒ぎに終焉をもたらす「バルコン」の組み合わせ。どちらも作中人物が何かを演じており、それと作中の実際の事象とが話の展開にしたがって関わってくるという複雑なメタ構造を持っている。

 「女中たち」は、屋敷の住み込みメイドであるクレールとソランジュ姉妹が、片方は「奥様」、もう片方は相手に扮し(作中ではクレールが「奥様」、ソランジュがクレールを演じている)、日ごろの鬱憤をぶつけ合うという場面から始まる。そのごっこ遊びの中で、奥様のきらびやかさに対する羨望やら、親切に対する愛情やら、軽蔑に対する憎悪やらの感情、またお互いに対してもやはりアンビバレントな感情を抱いていることが露呈されていく。
 便利なオタク用語は、こういうキャラクターのために「ヤンデレ」という言葉を用意してくれている。ごっこ遊びの中で表現されるのは狂気すれすれの感情だが、その感情を爆発させて狂気すれすれの行動を起こすのはごっこ遊びの外だから恐ろしいところ。

 「バルコン」はコスプレ娼館を舞台にした作品。外の革命騒ぎをよそに、中では人々が「司教と懺悔する女」「裁判官と泥棒女」「将軍と馬」などのごっこ遊びに耽っている。女あるじのイルマはこれらを管理しつつ、外の革命騒ぎにおびえている。イルマの愛人である警視総監は、娼館のレパートリーに「警視総監」の役がないことに不満を覚えている。そんな中、警視総監のもとを訪れた王宮からの使者に煽られ、総監はイルマを「女王」、客たちを本物の司教・裁判官・将軍に見せかけて、革命軍を欺くことを思いつく、という話。
 「女中たち」に比べると、スケールの大きさといい、作中人物の演じるプレイのシュールさといい、結末のぶっとびぶりといい、よりメタフィクション傾向が強い印象。だらだら読んでいるといくらか散漫な感じも受けるけれども、あちこちに意味深な人物や事物が配されており、たぶん奥は深い。訳注もすごく多い。

嘘つき男・舞台は夢 (岩波文庫)

嘘つき男・舞台は夢 (岩波文庫)

 ところでフランスでメタ演劇といえばこれですね。未読の人はぜひ。