書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

G.K.チェスタトン『四人の申し分なき重罪人』

四人の申し分なき重罪人 (ちくま文庫)

四人の申し分なき重罪人 (ちくま文庫)

しかし、わたしは言う。庭にはつねに禁断の樹を植えるべきだと。生活のなかに、つねに手を触れてはいけないものを持つべきだということを。それが永遠に若く幸福である秘訣だ。(179ページ)

 新聞記者ピニオン氏は、放埓な行状で知られるマリラック伯爵のスキャンダルを追ううちに、伯爵の友人である四人の男と出会う。マリラックと四人の男は『誤解された男のクラブ』を結成していた。四人はかつて誤解を受けた自らの行為について語る。

 ……というプロローグと、「穏和な殺人者」「頼もしい藪医者」「不注意な泥棒」「忠義な反逆者」の四つの中篇からなる作品集。
 どの話も「誤解された男」たちが為した犯罪と、その裏にある意外な真実、という内容であって、多分に逆説的な代物である。また台詞や文章の端々にも逆説的な言辞が散りばめられている。

自分たちが創造した娘を小説家たちは少年的と形容するのだが、不幸なことに小説家には少年というものが何ひとつわかっていないからである。小説家が描写する娘は(……)あらゆる点で少年の対極に位置している。小説のなかの娘はきわめて率直である。彼女は少しばかり軽薄である。彼女はたいがいは陽気である。まごつくことは決してない。そう、彼女の在り方は、少年の在り方とは完全に対照的である。(38ページ)

 という長いものから、

あなたの上司の行動は、警察官に違いないと思わせるほど泥棒に似ていましたからね。(162ページ)

 といったシンプルな台詞まで。こういった逆説をにやにやしながら読むのもこの小説の楽しみ方のひとつかも。