書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

莫言『牛 築路』

牛 築路 (岩波現代文庫)

牛 築路 (岩波現代文庫)

「この若者は志が低いな。俺は今年六十八、お前の父親より一つ年上なんだぞ。先に寝て、申しわけなくないのか?」
「この年寄りは志が高くないな。六十八にもなって、まだ寝たいのかよ」
「よかろう、俺が問題を出すから、お前が答えられたら、帰って寝てよし。できなければ、俺が帰って寝る」
 ぼくが返事をするより早く、老杜が問題を出した。
「東南労山に松の木三万六千本、一本に枝九本、枝一本に鳥の巣九個、鳥の巣一つに卵が九個、一つの卵に雀が九羽、雀は全部で何羽いる?」
(……)
「老杜、別な問題にしてくれよ。計算は苦手なんだ。頭が言うことを聞かないんだよ」
「今どきの子はどうしてみんなこうなんだ? みんな楽をしたがる」
「今どきの老人だって、みんな楽をしたがるじゃないか」
「こいつはやられたね。馬鹿かと思っていたら、手ごわい相手だ。(「牛」、88ページ)

 なんとなく金庸っぽい老人と少年の掛け合い。老杜の問題、普通の計算に見せかけて、最後におかしなツッコミどころがある。なにか隠れた意味があるのかないのか。

 荒れ牛の去勢と手術後の顛末を描いた「牛」、道路工事に徴収された半端なならず者たちがそれぞれに破滅していくさまを描く「築路」の合本。

 どちらもお馴染みの農村もの。動物が好きで、好きなものには嗜虐精神を発揮するいつもの莫言である。中編小説なので『白檀の刑』とか『転生夢現』に比べると分量や構成の点で物足りなさはあるものの、描写の力強さはさすがで、とくに「築路」の登場人物・孫巴の「釣り」の場面は圧巻(ちなみに釣りの対象は犬。目的はもちろん食用)。この「築路」はとにかく暗いパワーがみなぎっている作品で、登場人物が次々に破滅していく息の詰まる展開で読ませてくれる。 
 「牛」のほうはもう少し陽気で(主人公たちを取り巻く状況はちっとも気楽じゃないが)、莫言本人がモデルらしい能弁で腕白な悪ガキと、改革解放前を知る老人とのやりとりが楽しい。
 最新長編『蛙』の邦訳もそろそろ出て欲しいな……。