書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

リチャード・カウパー『クローン』

クローン (1979年) (サンリオSF文庫)

クローン (1979年) (サンリオSF文庫)

「いいか! さあみんないっしょに! 一、二の三! 睾丸! 睾丸! 睾丸は必要だ! ……睾丸! 睾丸! 睾丸は必要だ!……」
 気がつくと、アルヴィンもノーバートも他の人びとといっしょに歌をうたい、二人の踵は、心温まるようなリズムで、簡易舗装道路を打っていた。頭上の谷の両壁から、細かい紙片があてどなく舞う雪片のようにひらひら降ってきて、ポートマン・スクウェアのドリーム・アーケードの宣伝をしている七色のネオン・サインの上方で、きらきら光る色とりどりの蝶に変わり、すべるように動いたり、ちょっと止まったり、クルクル回ったりしていた。
「睾丸!」この新しく見出した連帯の幸福な興奮に無邪気な瞳を輝かせて、アルヴィンが叫んだ。「睾丸!」帽子をとって右に左に挨拶しながら、ノーバートも怒鳴った。「睾丸! 睾丸! 睾丸は必要だ!」(69ページ)

 これはひどい

 時は二十一世紀後半。主人公のアルヴィンは、ポインター教授が超絶的な記憶力を持つ男女の精子卵子から創り出した四つ子の一人。彼ら四つ子は強力な記憶力のみならず幻視能力を持っていたが、あるときポインター教授の咄嗟の行動のせいで能力を失ってしまう。以後アルヴィンは田舎の研究所でチンパンジーとともに下働きをして暮らしていたが、ある日、美しい少女を幻視する。研究所のフィジア博士は保護者としてチンパンジーのノーバートを付けてアルヴィンをポインター教授のもとに送り出す。ロンドンにたどり着いたアルヴィンとノーバートは、都市のチンパンジーたちのデモと抗争に巻き込まれてしまう。助けを求めるアルヴィンに応じたのは、政府公認の自殺幇助業者チェリルだったが、彼女はアルヴィンが先日幻視した少女その人だった。

 近未来イギリスを舞台にした超能力・エロコメSF。と書くと馬鹿っぽいが、文章は端正だし意外と社会派な印象もある。文章がいいもんだから、猥褻なシーンが出てきてもあんまり下品な印象を受けない。まあ、下品というより馬鹿っぽい方向に行くという面もあるが。
 中盤のロンドンのディストピア的な描写が魅力的。人口密集、高層住宅や高架道路のせいで「谷底」のように昼も暗いベイカー・ストリート、権利を要求して戦うチンパンジーたちに、計略を弄して彼らを大量死においやる政府。そして政府の人口抑制策のひとつとして、人々の自殺を幇助するサリマンタン(ヒロインのチェリルはそのエージェントの一人という設定)。しかしたくましくしたたかな登場人物たちのおかげで、作品の雰囲気がほとんど暗い方向には傾かず、むしろ笑いの要素のほうが多い。正統派英文学のユーモア&ペーソス。また、純朴な主人公・アルヴィンと機略縦横のヒロイン・チェリルの組み合わせも微笑ましい。……こういう組み合わせは鉄板だな。
 急ぎすぎず遅滞せず、小説が展開する速度が私には理想的。キース・ロバーツや、イアン・ワトスンの『川の書』あたりが好きな人はこの作家も気に入ると思う。サンリオSF文庫ではあるが特別にプレミアがついているわけではないので、常識の範囲内の値段で買えるはず。


 それにしても、ロバーツ、ワトスン、それにカウパー。このへん、もうちょっと翻訳出ないもんかね……。、