書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『ゴミ、都市そして死』

 論創社の「ドイツ現代戯曲選」全30巻のうちの第25巻。人物表の「マリー=アントワネット」と、最初の場面が月面上を舞台にしているのを見て即購入決定した。ドイツの現代文学はこれまでまったく読んでこなかったので、今後ゆるゆる渉猟していきたい。戯曲ならさくっと読めるしね。

ゴミ、都市そして死 (ドイツ現代戯曲選30 第25巻)

ゴミ、都市そして死 (ドイツ現代戯曲選30 第25巻)

「こうして街は和解の身振りによって我が身を護るのだ。全てが同類になり、均等にならされる」
「ゲームだ。ルールは前もって配布され、まだゲームの始まる前から勝者は決まっている」
「それでいいじゃないか。先の見えないゲームには家にこもった奴を誘い出す力はない」(67ページ)

 舞台は第二次大戦後の都市フランクフルト。主人公は肺を患っている下層の娼婦ローマ・B。彼女の夫フランツ・Bは、彼女の売春の稼ぎを賭博に費やし、稼ぎのないときは彼女を殴打するどうしようもない男。やがてローマは金持ちユダヤ人の愛人になり、不自由のない暮らしを手に入れるが――。

 月面上を舞台とし、マリー=アントワネットが登場するという最初のシーンの奇矯さは出色の出来。ただ、そのあとも話が幻想的諧謔的に進んでいくかと思うとそうでもなく、二つ目のシーンからは舞台も市街に移り、都市社会のうちに圧殺される人々の群像が描き出されていく。
 シャイロックを思わせる「金持ちユダヤ人」の人物造型や、かつてナチスユダヤ人虐殺に組したミュラー(ローマの父)の虐殺を肯定するような台詞回しから、この戯曲は反ユダヤ主義と謗られたらしいが、むしろユダヤ人批判というよりは(キャラクターに挑発的なセリフを言わせたからといって、そのセリフをそのまま作者の思想と受け取っていいわけでもあるまい)、「金持ちユダヤ人」以外の人物の行動によって陰惨きわまりない結末がつけられているあたり、金持ちをも貧乏人をも同じく人格を捻じ曲げる都市社会を批判する意図のほうが強いように思えた。
 キャラクターも多彩だし、会話の応酬も、やや挑発的なところが鼻につくが、ノリがよい。一読の価値はあると思う。