書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

トーマス・ブラッシュ『女たち。戦争。悦楽の劇』

 ドイツ現代劇・三冊目。
 読み物としては難解だけど、劇場で演じたらもう少し分かりやすくなるのか、はたまたもっと難物になるのか。でもこのセリフまわしは、確かに舞台では映えそうだなあ。

女たち。戦争。悦楽の劇 (ドイツ現代戯曲選30)

女たち。戦争。悦楽の劇 (ドイツ現代戯曲選30)

「とうとうアンタを見つけた、なのに何も言わない。怒ってるの」
「私は答えない」
「もう愛してないの」
「私は答えない」
「あたしはアンタに身をあずけて泣き始める、あたしが誰かを知ろうともしないから、それにアンタは虚ろな目で空を見ている。どうしたらいいの、ヨハネス、長い道のりをやってきたあたしのことをわかってもらうには」
「私は虚ろな目で空を見つめている」
「どうしてなの」
「私は死んでいるからだ」(20ページ)

 三部構成の戯曲。第一部は、「ローザを演じる女優」と「クララを演じる女優」が戦場でローザの夫ヨハネスを探して戦場を巡る話。登場するのはこの二人の女優だけだが、彼女らはローザとクララのほかヨハネス、警備兵など、演じる役を次々に変えていく。第二部では、パンダロス(シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』で二人の取り持ち役になった人物)とプロンプター、それに処刑を待つ五人の黒人が意味深な会話を繰り広げる。第三部では再び「ローザを演じる女優」と「クララを演じる女優」が登場するが、ここでは「クララを演じる女優」がローザを、「ローザを演じる女優」がクララを演じる奇怪な状況になっている上、二人の会話もかみ合わない。「クララを演じる女優」が演じるローザはどうやら狂気に陥っているらしいが、はっきりしない。

 80ページほどの短い作品だが、以上のように内容はかなり複雑で、しかも濃い。その分、なかなか手ごわいテクストになっている。同じく戦争を扱ったドイツ演劇であるブレヒト『肝っ玉おっ母とその子供たち』などと比べると、この『悦楽の劇』のほうがずっと読みにくい。第一部、第二部、第三部で展開や文体や構成はがらりと変わり、現実性はどんどん不安定になっていく。難解さも先へ進むにつれて増していく。メタフィクション性が強く、いかにも現代文学らしい装いといったところだ。しかし、いたずらに奇を衒っただけの作品ではない。第一部の戦場の情景は迫力があるし、第三部の「クララを演じる女優」が演じるローザのモノローグも不気味でインパクトがある。