書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

紀繇『閲微草堂筆記』

中国怪異譚 閲微草堂筆記〈上〉 (平凡社ライブラリー)

中国怪異譚 閲微草堂筆記〈上〉 (平凡社ライブラリー)

中国怪異譚閲微草堂筆記 下 (2) (平凡社ライブラリー き 9-2)

中国怪異譚閲微草堂筆記 下 (2) (平凡社ライブラリー き 9-2)

 鬼(幽霊)や狐の怪異譚を中心とした掌編小説集。『聊斎志異』と並ぶ清代文言小説の代表作。

 上巻だけ読んだときも感想を書いたが、下巻まで通読した今でも、改めて付け加えたいことはそんなにない。

 議論好きなのが特徴だが、あとは文体も内容も極めてシンプル、むしろそのシンプルなところが、コテコテの小説に慣れた現代読者には新鮮に見えるかもしれない。ま、悪く言えば無味無臭ということで、『聊斎志異』とどちらが面白いか、文学作品として個性があるか、と聞かれれば、そりゃ『聊斎志異』だということになるのだが。
 紀繇はかの四庫全書の編纂を主導した大学者だが、偉大な書誌学者というイメージに反してけっこうファンタジックなひとだったらしく、子供のころはいるはずのない兄とよく遊んでいたとか、愛妾が亡くなる直前に別れを告げに来たのを夢見たとか、そういうエピソードがいくつかある。私が思うに生来夢見がちな面があった(例の兄との話からして)上、父親や親戚たちから怪奇譚をしょっちゅう聞かされて育った(この本の中には父や叔父から聞いた話というのがたくさんある)ため、こんな本を書くようなオカルト好きになったのだろう。
 親戚から聞いたというものの他に、官界の先輩や同輩から聞いた話というのも多いが、当時あの科挙をパスして役人になった連中は、暇さえあれば怪していたのだろうか。はたまた類は友を呼ぶとばかり、紀繇のまわりにそういうオカルト好きが集まっていたのだろうか。
 あと、清代半ばころの知識人や民間の習俗がわかるのはこの本の長所だろう。千金を注いで本物そっくりの女性の人形を作った男のくだりなんかは現代の人形マニアそのままで笑えた。