蘇童『我的帝王生涯』
殺せ。私は弓矢を立て、目と口を見開いている燕郎に言った、楊松は勝手に守備の職を離れただけでも死罪に値する、今、やつはさらに敗軍の将となった、殺さないわけにはいかぬ。
陛下、見事な射芸です。燕郎は軽い声で付和した。燕郎の小さな顔には驚きと媚びが入り混じった表情が浮かんでいた。彼の手は、依然として私の吐いた汚物を捧げ持っていた。私は彼が私の話を繰り返すのを聞いた、敗軍の将は、殺さないわけにはいきませぬ。
恐れるな、燕郎。私はただ、好かないやつを殺すだけだ。私は燕郎の耳元にささやいた。私が誰かを殺したいと思えば、その誰かは死ぬ、そうでなければ私は燮王でいるのを好まぬ。そなた、誰か死なせたい者がいれば私に告げよ、燕郎、そなたは誰を死なせたい?(47ページ)
幼くして燮国の王となった端白は、祖母・皇甫夫人、母・孟夫人と宮臣たちの傀儡として、鬱屈した日々を送る。周囲の人々への嫌悪と恐怖、政務や外情への不安から、彼は狂気の老宮役・孫信が繰り返す「燮国の災いはまもなく降りかかってくる」という予言に深い感銘を覚えるのだった。異母兄・端文との内訌を経て帝位を追われた彼は、数年後庶民として、孫信の予言が実現するのを見届ける。
『碧奴』の翻訳が出たときに読むかどうか迷ったけれど、結局読まずにおいてしまったので、蘇童を読むのはこれがはじめてになるが、いや、いい作家だねえ。中華風架空史小説というのは、近頃ではしばしば目にするジャンルだし、分量はそれほど長くないけれども、読み応えの点でもリーダビリティーの点でも、これはかなり高い水準に達している小説だと思う。
話は後年の端白の一人称による回想で進められるが、地の文の冷静な語りと台詞の中での主人公の臆病だったり残虐だったりする言動との対照が実に鮮明。まったく帝王の器ではない(というか昏君の部類)主人公の、悪夢に悩まされるさまや、どうにかしたくてもどうにもできない中での足掻きっぷりは哀れを誘う。
終盤にはちゃんとカタルシスも用意されていて、
私は綱の上に立って何を見たのだろう? 私は私の本当の影が、香県の夕日によって急激に伸びていくのを見た、美しい白鳥が私の魂の深いところから飛び立って、自由に傲慢に、世の人々の頭と蒼茫たる天空を掠めていくのを見た。
私は綱渡りの王だった。
私は鳥だった。(172ページ)
いつか翻訳されて日本の文学ファンの目に届くときのことを配慮して、詳しい状況は伏せるが、ここまで読み進めたらついほろりとしてしまった。「私は鳥だった」だけなら平凡な表現かもしれないけれど、前半の鬱っぷりがここで効いてくるわけで。
といっても、ここから残り20ページ、さらに一波乱が待っているのだが。
文章も端正で読みやすい。日本でももう少し知名度を上げてほしい作家だな。