書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』

わたしは英国王に給仕した (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

わたしは英国王に給仕した (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

彼女は店を出て行き、彼女のあとにはラズベリーの残り香だけが漂っていた。シルクのシャクヤクのドレスを着た彼女が外に出ると、早くも蜂が周りをブンブン舞っていた。支配人は机上の封筒をわたしに押し付けて、「さあ、追いかけるんだ、忘れ物があるだろ」と言った。駆け出していくと、彼女は広場に立っていた。トルコの蜂蜜を売る市場の小店のように、スズメバチとミツバチだらけだったが、彼女がいっこうにおかまいなしといった様子だったので、蜂たちは彼女から甘い液体を集めていた。その液体は彼女の身体にまとわりついていたので、家具に光沢材やラッカーが塗られているように、もう一枚別の薄い層の皮があるかのようだった。わたしは彼女のドレスを眺めながら、二百コルナを戻そうとしたが、彼女は押し返し、「昨日、わたしのところに忘れていったものよ」と言って受け取らなかった。そして、また夜に「天国館」に来てね、と言った。(……)甘いグレナディンのせいで服が彼女の身体にぴったりと貼りついていて、それを剥がすには壁から古いポスターや壁紙を剥がすようにしなければならなかった……。(21ページ)

 小柄なジーチェは、いつしか百万長者となって自分のホテルを持つことを夢見る給仕人見習い。プラハと田舎のホテルを行ったり来たりしながら少しずつ出世していき、第二次世界大戦を契機に財を得て念願を叶える。しかしそれも束の間、共産主義の時代がやってきて……。

 分量は200ページちょいといったところだが、改行が少なくみっちり字が詰まっていて読みでのある本である。「これからする話を聞いてほしいんだ」で始まり、「今日はこのあたりでおしまいだよ」で終わる、五つの章で構成されている。
 立身出世や金銭への執着の人一倍強い主人公が、ところによっては冗長なまでに語りまくる小説なわけだが、この語りが不思議と読んでいて嫌な感じを受けない。たとえば給仕見習いの主人公が、朝方にホテルのソーセージを駅へ売りに行く最初のエピソード。急いでいる客から額の大きい紙幣を受け取ったときに釣銭がないふりをして、列車に間に合わなくなるからと客がやむなく釣銭を諦めて去っていくと、その分を懐に入れてしまうという、なんともせこいやり口で小遣いを稼ぐのだが(そしてそれを高級娼館で使ってしまったり)、あまりあっけらかんと語るものだから、どうにも憎めない。こんな具合でこの主人公、下積み時代から金と女の話題には事欠かず、うらやましがらせて……いやいや、楽しませてくれる。
 作中の白眉と思うのは、最終章の最初のほう、チェコ共産主義政府が出来て、プラハの百万長者たちを軟禁する場面。とかく共産主義にはシュールな場面がつきまといがちと見えて、ここは爆笑ものの出来。民兵たちの規律と訓練度があまりになっていなくて長者たちをまともに管理できないので、そのうち報告書の作成や物資の管理を長者たちが行うようになったり、挙句の果てには長者たちが民兵に扮して自分で自分を見張ったり。その笑いと並行して、成金の主人公が本物の長者たちの間で味わう悲哀なども語られたりするのだが……。