書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

盧仝「嘆昨日三首」

中唐の詩人・盧仝の詩「昨日を嘆ず」を訳してみた。

昨日の日に追いつくことはできず
今日の日も瞬く間にすぎさる
こうしてこうして、またこうして
青年の心は死に、白髪が生じる
秋風が枯葉を散らし、旅人は断腸の気持ち
一斗の酒だけが憂い顔を晴れさせる
賢者の名も聖人の行いもひどく苦しい
周公も孔子も、ただ自らを欺いていただけのこと


天下の凡夫どもは酒に溺れ、
この玉川先生も酒に溺れている
凡夫どもは銭を持っているから享楽も思いのまま
玉川先生は銭がないから清貧暮らし
銭があってもなくても哀れなもの
百年の歳月は川のように過ぎ去る
日ごろの気がかりはすっかり解け去った
空の上には悠然たる太陽


上帝は遠すぎて何物をも治められず
日輪はいそいそと西へ沈んでいく
いにしえより聖人はなに一つ為すことができず
道を行うことができずにみな白骨となった
白骨は土に変わり、魂は黄泉に沈み
生ける者たちは彼らを思うことなく平生を過ごす
いつになれば禁酒の街を去り
酒で満ちた甕を抱え、背中をさらして眠れるのだろう

 ちなみに原詩はこのへんで読める。
 どうも日本語に直すと滑稽味が損なわれてしまう気がする。もっと鮮やかに訳せないものかねえ。あと、実は第一首第六句の訳があやしげ。