書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

オノレ・ド・バルザック『従兄ポンス』

従兄ポンス〈上〉 (岩波文庫)

従兄ポンス〈上〉 (岩波文庫)

従兄ポンス〈下〉 (岩波文庫)

従兄ポンス〈下〉 (岩波文庫)

「あわれな羊だ!」と、ゴーディサールは、いとまを告げて出てゆくドイツ人に会釈しながら、心の中でいった。「だが結局、人間はそいつをカツレツにして食って生きていくんだ。そうしてあのすてきなベランジェがいうように、『あわれな羊よ、汝らの毛はつねに挟み切られん』だ。
 そして内心の感動を追いはらうために、右の政治的詩歌をうたった。(下巻、251ページ)

 骨董愛好家で老音楽家のポンスは、同じ音楽家で親友のドイツ人シュムケとともに清貧暮らしを送っていた。大食らいで美食好きのポンスは下宿の食事に満足できず、金持ちで遠縁の親戚のもとを訪れては晩餐に預かっていた。ところがある日、良かれと思ってしたことが原因でポンスはひどく侮辱され、死病の床に伏してしまう。それと同時に、ポンスの収集した骨董に極めて高い価値があることが、周囲に知られ始めた。人々はポンスの遺産を狙って暗躍を始める。

 バルザック本人が「小説のヒロインはポンスのコレクション」だと言っているように、『従兄ポンス』は第一にコレクター小説なので、骨董でも書画でもコインでも切手でも書物でも、なにかを収集したことがある(している)人なら間違いなく楽しめるのではなかろうか。小説のはじめのほうの場面で、ポンスは従弟の妻カミュゾ・ド・マルヴィル夫人に扇の贈り物をするにあたり、その扇の来歴や安く手に入れるための手管を語ってきかせるのだが、ここの場面のポンスの語り口の熱いこと熱いこと。対する夫人のほうがえらく冷めているのとの対比も含め、リアルでなかなか滑稽だ。
 キャラクターのうちでは、作者公認のポンスの嫁・シュムケ(念のため書いておくと、男)の人物が至純。出てくるキャラというキャラが煮ても焼いても食えない奴ばかりなのに、ポンスですら、いまわのきわまでそういう奴らに対抗せんと策略をめぐらしていたのに、シュムケ一人がどこまでも善良で。ドロドロした作品を読みすすめるにあたっての一服の清涼剤……とはならず、周囲にいいように弄ばれて、読者を余計に憂鬱にさせてしまうのである。
 カネをめぐる、迫力ある争いで面白く読ませてくれるのは、これはまあいつものことだが、その争いが一見かなりの貧乏暮らしをしている男の財産をめぐって行われるところが『ポンス』の独特なところだろうか。