書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

イヴァン・ゴンチャロフ『断崖』

 岩波文庫赤帯では最もレアな本の一つとして知られ、古書店では五冊ぞろい三万五千円などという値段がつくこともあった。このたびの新装復刊はまことにめでたい。にも関わらずネットの反応がいまいち盛り上がっていないような気がする。もっとみなで祝おうではないか。

断崖(一) (岩波文庫)

断崖(一) (岩波文庫)

断崖(二) (岩波文庫)

断崖(二) (岩波文庫)

 ライスキーは芸術家を志していて、才能のかけらも持ち合わせつつ、やれ絵画だ小説だとあちこちに手を出すため大成せずにいる三十男。今は仕事も持たず小説の構想を練りながら地所からの収入で暮らしている。大伯母タチヤーナの管理する田舎の地所に戻った彼は、風変わりな美人に育った従妹ヴェーラと再会し、彼女に夢中になる。

 文庫本にして五巻の大長編。だが全三巻のうち最初の一巻で主人公がベッドからほとんど動かない『オブローモフ』の作者のこと、この小説もシナリオの展開はかなりゆっくりだ。1巻はほぼ丸ごとプロローグ、早い段階からメインヒロインだとにおわせているヴェーラは2巻ラストでようやく登場、そして小説の中核となるヴェーラとその恋愛相手とのやりとりが描かれるのは3巻の最後から、とこんなふうである。ライスキーが小説家志望で、田舎帰りの目的のひとつをその題材集めにおいているためか、メタフィクションっぽい空気も漂う。彼が過去に書いた小説の一部が挿入されたりしているし、1巻ラストではライスキー自身がモノローグで

これだけの材料では小説のプロローグくらいのものしか出来はしない! 本当の小説はこれから先に来るか、全然現れないかだ!(1巻、365ページ)

 などとつぶやいたりもしている。
 さてこの小説家志望(その前は画家志望だった)の三十代無職ライスキーくんの前に、さまざまな人物が現れて対話を繰り広げるわけだが、その会話とライスキーの行動・独白を通して扱われる題材は幅広い。新旧世代の思想的対立とか、人間観察という行為の悪趣味さ加減についてとか、人は自分の周囲のことがいかに見えていないかとか、自分を恋してくれているが自分としては何とも思っていない異性に対し人間はどれだけ残酷に振舞うことが出来るかとか。オブローモフ的怠惰のうちに沈む未亡人ソーフィヤ、プルードンを読んでるヴェーラ嬢、ええ歳をしていまだに雌豹のつもりでいるクリッツカヤ、コケットなウーリニカ、そして誰も勝てない祖母タチヤーナなど、魅力的な(時として三枚目的に)ヒロインが大勢登場するが、彼女らが引き立つのもライスキーのキャラクターがあまりに面白いからである。才能はあるのにひとつのことに打ち込むのが苦手な彼は、とにかく熱っぽいがどことなく浮薄で、どこかで聞いたようなことしか言わないし、上っ面は飾っているつもりでぜんぜん飾れていない。頭に血が上ると頓珍漢な言動をしがちで、ヴェーラに論破されて「うー!」などという声を上げるところとか、ヴェーラに対してストーカー行為を仕掛けたあげく肘鉄を食らう場面などは爆笑もの。この主人公には少しばかりオブローモフ氏の冷静さを見習ってほしい。
 ライスキーの色恋沙汰で面白いのはヴェーラとクリッツカヤに対する態度の対比だ。「田舎の雌豹」クリッツカヤはいろいろと勘違いしてライスキーにしつこく色仕掛けをしかけるのだが、ライスキーのほうではお見通しでいつも軽くあしらう。ライスキーの前ではクリッツカヤはいつだって滑稽である。しかしそのライスキーもヴェーラの前では滑稽な振る舞いを繰り返してしまう。
 一連の事件が終わったあとの彼の決断には、あのAAを思い浮かべながら「まるで成長していない……」とつぶやいてしまうこと請け合い。
 遅々として進まないストーリーを、愉快な対話で盛り上げるダメ男小説の傑作。『オブローモフ』のファンならば一読の価値あり。