書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ジャン・パウル『陽気なヴッツ先生』『シュメルツレの大用心』

 ドイツの古典小説を読むのは久しぶり。最近は現代劇ばかり読んでいたからなー。

陽気なヴッツ先生 他一篇 (岩波文庫)

陽気なヴッツ先生 他一篇 (岩波文庫)

彼は子供のころすでにいささか子供じみていた。(『陽気なヴッツ先生』、8ページ)

 この岩波文庫唯一のジャン・パウルの本は、田舎の小学教師のささやかな楽しみに満ちた生涯を語る『陽気なヴッツ先生』と、小心者の牧師が心配ごとに満ちた珍道中を語る『シュメルツレの大用心』の中篇二つを収めている。

 作風は『トリストラム・シャンディ』+『失われた時を求めて』、といった感じ。プルーストを思い起こさせる、読点読点でえんえんとつなげられた長い文章をもって、スターンふうに脱線を繰り返しながら物語を語っている。まえにこの作者の『五級教師フィクスラインの生活』を読んだときはどうも乗り切れなかったのだが、その理由は読むのを急ぎすぎたためだろう。一般の19世紀小説を読むようなスピードで読んでいてはこの作家のものを楽しむことは出来ない。物語を読もうとするのではなく、一文一文を咀嚼しながらゆっくり読み進めることで、ようやく作者のユーモアにニヤニヤすることができる。薄い本だが、忙しいときの読書には不向き。
 『シュメルツレ』は病的なほどの臆病者の心理を滑稽に描いていて、構成もわりと単純。白黒とりまぜたユーモアが笑える。『ヴッツ』は作中時間がしばしば前後し、脱線も多く複雑な構成になっている。作品の雰囲気はおおらかで、少年時代のヴッツの恋を描く段などはその初々しさにニヤニヤが止まらない。読み進めて「彼は、まだこの世に生を享けていてたとき、われわれの誰にもまして嬉しげにその生を楽しんだ」という結句に至ると、ある種の羨ましさから思わず長嘆息。現代人には彼のような幸福は享受できまい。
 それにしても、ジャン・パウルの小説に出てくる女の子は、ほんとうにいい子ばかりだなあ。彼の女性関係は幸福なものだったんだろうか。