書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

フリオ・コルタサル『悪魔の涎・追い求める男』

カメラを下げて歩けば、周囲にたえず注意を払い、古い石の上につと照り返す美しい陽射しや、三つ編みにした髪をなびかせ、パンか牛乳びんを抱えて駆けもどって行く少女の姿を見逃してはならない。写真家というのは、カメラが巧妙に押しつけてくるもう一つの目を通して世界を見るべきである。ミシェルはそう考えている。(「悪魔の涎」、61ページ)

 日本オリジナル編集による、アルゼンチンの作家コルタサルの小説集。十篇の作品を収める(「追い求める男」が100ページほどの中篇、あとはみな10〜20ページくらいの短篇である)。

 3月に復刊されたので読んでみた。コルタサルを読むのはこれが初めて。結論から先に言うと、この作家、非常に気に入った。
 マルケスリョサフエンテスとともに「南米文学の四天王」のように呼称されるコルタサルではあるが、感触はマルケスや、あるいはレイナルド・アレナスなどとはかなり異なる。これらの作家の小説はうだるような熱気、パワーに溢れている。それに対し、コルタサルのはどこか上品で、端正で、おしゃれな雰囲気が漂う。ときに相当にグロテスクなことを書いていても(口から子兎を吐き出す男とか)、それでも書きっぷりは不思議と上品な感じなのである。南米文学を象徴する「マジックリアリズム」より、「シュルレアリスム」に近い印象(解説を見ると、コルタサルアルフレッド・ジャリの影響を受けているらしい)。
 お気に入りの短篇は、口から子兎を吐き出す男が恋人に向けて書いた手紙という体裁の「パリにいる若い女性に宛てた手紙」、公園で撮影した写真がもとで現実と幻想が交錯する表題作「悪魔の涎」、ひどい渋滞の高速道路での人々の交流を描いた「南部高速道路」、飛行機の添乗員がいつも眼下に見える島に心惹かれる「正午の島」。
 不気味ながらも楽しく、深い読後感のある逸品。未読の人はこの復刊を期にぜひ。