ボート・シュトラウス『公園』
ドイツ現代劇・七冊目。
とりあえず手元にある「ドイツ現代戯曲選」はこれで全部読んでしまったので、次をどうしようかなと思っているところ。来月になったら、アハターンブッシュ『長靴と靴下』あたりを買ってみようかな。
- 作者: ボートシュトラウス,Botho Strauss,寺尾格
- 出版社/メーカー: 論創社
- 発売日: 2006/08/01
- メディア: 単行本
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誰かの中にある薄暗い太古の時代に触れようとしても、その者が太古を生きることができないかぎり、ムダなことだ。衣服と精神が人間をがんじがらめにしているかぎりは、むきだしの欲望を人間に呼びさますことはできない。生まれるのは奇妙な出来損ないだ。愛ではなく、もっと別の、もっと怪しげな発火点が燃えはじめなければ、誰の心に火をつけることもできない。(第三幕、141ページ)
シェイクスピア『夏の夜の夢』を下敷きにした戯曲作品。現代ドイツの公園を舞台に、二組の夫婦の感情のもつれを中心にして、欲望の抑圧、歪曲、喪失を描く。『夏の夜の夢』でも重要な役割を担った妖精の王オーベロン夫妻が登場、芸術家キュプリアン(さしずめパックの役どころか)と組んで、さまざまな男女の恋愛感情に火をつけようとするものの、うまくいかない。
コミカルなやりとりやアクションに満ちた作品ではあるが、欲望とか愛情の喪失といった現代の病理をテーマとして扱っているため、全体の雰囲気はけっこう暗い。第四幕の、ティターニアが三人の男を誘惑するくだりなどはその好例。この場面では、男たちはティターニアに欲求を感じるものの、狂気に駆り立てられたりはせず、ティターニアのほうがその無気力さに呆れて去る。滑稽ながらも現代の怠惰な空気が漂い、読んでいて憂鬱になる。
さて、「ドイツ現代戯曲選」に収められた作品はどれも難解だが、この作品もかなり手ごわい。解説を読むとあちらこちらにメタファーが散りばめられているらしいし、一見散漫に見える本筋から逸脱したエピソードにも、なにか作品を読み解くカギが隠されていそうだ。再読が必要かもしれない。