書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

ジョージ・タボーリ『ゴルトベルク変奏曲』

 ドイツ現代劇、17冊目。タボーリは1914年生まれなので「ドイツ現代戯曲選」シリーズの作者のうちでは一番の年長者か。70〜80歳ころにかけて演出家・脚本家としての最盛期を迎えたというたいへんな晩成型で、90過ぎの今でもバリバリの現役だそうな。ハンガリー生まれだそうなので、「東欧文学」タグもつけておく。

ゴルトベルク変奏曲 (ドイツ現代戯曲選30)

ゴルトベルク変奏曲 (ドイツ現代戯曲選30)

「技術スタッフはどこだ、ゴルトベルク?」
「裏方はいつもどおり姿を見せません」
「姿を見せないのは神のみの特権だぞ!」(14ページ)

 演出家のジェイは聖書神話を舞台化しようとするが、助手のゴルトベルクや俳優たち、裏方たちがなかなか思い通りに動いてくれず、悪戦苦闘する。

 これは面白かった。読んでいて何度もにやけさせられた。メタフィクションとしても楽しいし、世情・社会風刺の点でもなかなか深い。
 まず最初のト書きからしてふるっている。

 幕に文字が現れる。
「神は死んだ」(ニーチェ
 五秒後には次の文字が現れる。
ニーチェは死んだ」(神)

 そしていよいよ幕が開けるかと思うと、助手と清掃婦の短い会話のあとに、バッハの荘厳な音楽にのって演出家(=神)たるジェイが登場。ところが最初の照明係に明かりを点けさせること(光あれ!)から上手くいかない……と、こんな調子で聖書パロディ要素とメタ演劇要素を上手くからめて舞台が進んでいく。さらに折りあるごとに風刺の刃を飛ばしてアウシュビッツから現代の性風俗まで手広く切り刻む。その痛快さはまさに快刀乱麻を断つといった按配。
 深い内容を描きつつもコメディの本文を忘れ晦渋に陥るということがなく、さりとて平板にもならない。現代喜劇としてはまず最高傑作級ではあるまいか。


 ちなみに聖書パロディとはいっても、ネタにされるのは有名な場面ばかりなので、ユダヤキリスト教についてはごく基礎的な知識さえあれば楽しむのには差し支えない。