書物を積む者はやがて人生を積むだろう

和書を積んだり漢籍を積んだり和ゲーを積んだり洋ゲーを積んだり、蛇や魚を撫でたりする。

『ハインリヒ・マン短篇集2 中期篇』

ハインリヒ・マン短篇集〈第2巻〉中期篇―ピッポ・スパーノ

ハインリヒ・マン短篇集〈第2巻〉中期篇―ピッポ・スパーノ

 彼は、相手の目をじっと見ながら、へりくだった口調で尋ねた。「愛されるには醜男過ぎますよね?」
 彼女は衝撃を受けた。よりによってこんな質問を私にするとは!あれほどさまざまな体験を積み重ねてきたというのに、この人は私に愛されているという確信すらないのだ。(「女優」、176ページ)

 ハインリヒ・マンが三十代のころに書かれた作品を収めた短篇集。「ピッポ・スパーノ」「フルヴィア」「門の外へ」「女優」「知られざる者」「引退」「ムネー」「ジネーヴラ・デッリ・アミエーリ」の八編を収める。

 あの傑作『ウンラート教授』の書かれたのと同じ時期の作品を収めているということで、非常に期待して読んだ。その期待にたがわぬ作品ばかりで、性格描写や心理描写は初期に比べてますます冴えていたと思う。
 巻頭に収められている「ピッポ・スパーノ」はH・マンの短編のうちでも最高傑作に数えられるそうだが、主人公マーリオ・マルヴォルトの、憧れと、現実の自身との乖離で懊悩する様子が非常に鮮やかに描かれていて、確かに印象深い作品だ。

<……そういうことのできる強い人間に、私はただただあこがれる。たった一時間で自分の生を食い尽くし、幸福に死ぬことのできる生の傭兵隊長たちに。こうしてわびしく別れるのではなく、私たちは今朝一緒に死ぬべきだった、ああ、ジェンマ!>
 マーリオ・マルヴォルトは自分の言葉を遮った。
「だが今夜ではなぜだめなのだ?」と、薔薇の茂みに囲まれた、赤く染まった影の中で彼は叫んだ。
「あさっては? あるいでいつでも、俺たちが幸福でありさえすれば!」(42ページ)

 この短篇集第二巻の中で一番長い「女優」は、奔放な性格ながら小市民の気質も抜けきらない女優レオニと、知的で金持ちなユダヤ人青年ロートハウスの恋愛と破局を描く。レオニとロートハウスの心理がすれ違う描写が絶妙な傑作。『ウンラート』もそうだったけれど、H・マンは人物の感情の行き違いを描くのがうまいと思う。
 その濃密で緊迫した「女優」のあとに置かれている「知られざる者」は、少年の隣家の若夫人への思慕を描いた作品で、少年の純情ゆえの滑稽な行動の数々ににやけ笑いが止まらない。
 やっぱりこの人は一流の作家だ。